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島崎陶人ギターサロン:プラテ〜ロと私


 Pratero (プラテーロ)




朗読する音量というのは、ギターの音と比べるとやや小さい。
人にもよると思いますが、やはり生ギターの方がかなり大きい。
それで、朗読の入る場所の弾き方を工夫する必要がある。

私の場合は朗読のある場所は<撫で弾き>又は<皮弾き>
朗読のない場所では<押し込み弾き>
と、頭では考えていましたが、実際には、まだまだ頭と身体が一致していない!
これを確実に実行するには、どうやら自分で朗読して自分で弾く!
という荒治療が必要かも・・・・・
    手ごたえとして、<撫でる弾き方>は意識がなくても弾けそう・・・・

今回の一番の経験。
<押し込み弾き>は頭と身体が完全に一致しないと人前では演奏不可能!
というあまりにも「あたりまえ」の事実です。

というのは、私は生意気にも自分がある程度一致(頭と弾き方)していると思い込んでいたのですが、
「ずれ」があることに気が付いたのです!
その「ずれ方」を修正する方法を発見すれば、かなりのギター弾きを納得させられるのではないか?
と思いました。

もちろん具体的な方法はまだですが、ヒントは「時間差」です。
時間差があるのです。
想い(頭)と演奏(身体)の時間差。
これを同時(理想)にする方法・・・・・
これを読んでいる方で、なにか閃いたら、ぜひ投稿してください。
その内容がどんなに的外れでも、私はそれをヒントにするだけですから。
むしろ的外れの方が有難いぐらいです。
足ブラブラはそれを気付かせてくれました。
・・・・・え?ならば・・・・手ブラブラは?  ですか?

はい、そういうヒントが有難い訳です。
え? 首ブラブラ・・・・肩ブラブラ・・・・○ん○んブラブラ!
ま、そういう下品なのも一応参考にはなるわけです。
なんせ、今パンツとはおさらばしようと試みています。
フンドシ!
日本古来のあのフンドシ!
これが実際見直されています。(ヒモトレ)
ギターを弾くからギターに関したこと・・・・という発想では残念ながら解決はしません。
というより、ギターは人生のほんの一部分。
身体を動かすという意味では格闘技の方がよほどヒントが豊富。

その昔、私の生徒で、格闘技をやっていた人がいました。
彼は、一瞬で私のタッチの面白さに取り付かれた一人です。

ヨガなど大いに役立つ! そう思っています。

プラテーロから外れていっている、と思いますか?
いいえ、外れていません。
今、私が書いていることは、呑み会では普通の話題。
こういうことから「ひょこっと」生まれるのです!
真面目そうな話し合いの中からは決して生まれません。

さて、今回プラテ〜ロの中で私の実行した内容に少し触れておきます。
(ソロで弾く時は全く別ですよ!念のため)

「プラテーロは小柄でムクムクしていて柔らかい」と朗読するところでは、ベースをスタカットで、
3連符をいくぶんダンゴで弾きました。
それと和音は「フワッ」を多用しました。

「放っておけば〜」は速度をグンと落とし、スラーも無くしました。

「なんというのか、夢に描く鈴の音のよう」では、左手<クイッ>を必要以上に動かして、
ベースは軽く、軽く、聞こえない程にまで小さくしました。

「私のやるものは〜」では、プラテロの気持ちになってみました。
すると、好物の果物をもらう時、食べる前と、食べる時とでは、嬉しさは、食べる前の方がより大きいのでは?
そう考えると、果物を前にした時は尾っぽを動かし、食べる時は口を動かす。
これをヒントに、いろいろ試しましたが、まだ答えは出ていません。

「まるで男の子のように〜」のところは、おどけて弾きたいのですが、テクニックが付いていきません。

「日曜ごとに〜」のところは、帽子鳥さんが、素晴らしいアイデアを出しました、
これは実際に聞いてもらうのが良い。
おかげで弾く方の負担がなくなりました!

最後は<押し込みタッチ>で決めたいのですが、ここで身体が瞬時に反応してくれれば、・・・・・です。



 Spring (春)




この曲はまるで日本人向けに書いたのではないか?
と思える程、日本的です。
最初に目に付くのは「音型」で、最後の型と初めの型が逆になっています。
最後のミミファミ、ララシラ、から練習開始。
始めにイメージを作ります。その作り方は・・・・
 @の12フレットから始めます。ミミファミ。
 次に10フレットで同じ型を(レレミレ)以下同様に、順にフレットを下げていきます。
 やり方が分かれば、後は簡単。この型でドンドン下げて弾きます。
 慣れれば、速度を上げます、ドンドン上げます。
 弦も、フレットも好きなところを瞬時に選んで、アッチコッチと飛びまくります!

 どうです?
 「面白いでしょう?」
 フムフム!と思ったら、ラスギャードの少し前、
 Dラシドレ、Cミミファミ、ファファソファ、とこの型を使ったところに挑戦。
 すると、ここではこの型の始めの音がミ〜ミと音階で出来ています。
 ところが、最後のところは、ミとラだけで出来ている。
 しかも、使ってある音が「ミ・ファ・ラ・シ」の4つ。とても日本的!!

さて、この最後の型を経験してから、始めのミミレミ、シシラシ、を弾いてみると・・・・・
ここから先は書かぬが花。
この音型を、普通にがんばって弾くと・・・・アホですがな!
小鳥たちが大騒ぎしている様子をどう表現するか?
演奏する方の「アイデア」を出す絶好の場所。
脚本家なら「血湧き肉踊る」腕の見せ所。
今回、私は自分のアイデアを工夫する前の姿で、つまりモロに弾いてみました。

さて朗読と一緒に弾くところでは「撫で弾き」ですが、これが手強い!!
特に親指で弦を二本弾くところは「皮の二本弾き!」を使いますが、@とAなら経験あるのですが、
EDやCBは初めて。
実際に使ってみると分かるのですが、これが想像以上にやりにくい!
動きが一瞬止まる!というのがその原因だと思うのですが・・・・・
これは、今後の課題。

ところで、この詩にはプラテーロは出てきません。
が、テデスコは粋な計らいを曲の中でしています。
騒いでいる小鳥の横で、ちゃあんと座って「私」を見上げているんです。
そこは・・・・・・自分で探してください。これだけヒントがあれば簡単なはず。

指使いに関して、2箇所だけアイデアを紹介します。
ラスギャードに入る2小節前三度進行で上の音がドドレド、下がララシラと弾くところ。
左手が1と2が2フレットを上がったり下がったり!!
こうすると「乗る」のです。
もう1つ。「私は果樹園へ出て〜」と読むところ。
@の開放弦ミとA5フレットのミを交互に弾くところがあります。
普通なら左手4の指をAに押さえたまま、@A@と弾くところですが、私は4を毎回離しています。
最初はかなり混乱しましたが、慣れてくると、押さえたままでは、面白くありません。

曲がある程度の速度を要求しているので、その中で「のんびり」つまり遅く弾く場所を決めるのは、演奏者の腕の見せ所!
私はこの「遅く弾く」場所をかなり多くとっています。また「間」もビックリするぐらい空ける場所が多くあります。

蛇足ですが、最後のBと@のラは「揺らぎ」を使わないと出ませんよ。


 Ronsard (ロンサール)




この曲も最後から練習を始めましょう。
まるで落語の「落ち」のような雰囲気です。
原曲は1オクターブ高い音だったと思います・・・・・って、確かめんかい!
レド♭シラが3回繰り返されます。
ロンサールが地の底で笑っている情景!
私は、左の指使いを(3110)とすることで自分なりに解決しました。
普通なら(4210)ぐらいでしょうが、それだと弾いただけ!
加速しながら(3110)で腕を動かし、最後は勢いで10フレットまで飛ぶ!一呼吸置いて最後のD。

どの曲も速度変化が半端ではないのですが、特にこのロンサールは「同じテンポで弾く場所がない!」と言ってもいいほど変化に富んでいます。

出始めも将にそれ!
たった2小節の間に4回!速度、弾き方が変わります。
32分音符のところなど、朗読と一緒だと、「逆切れしたんか?!」と思われるぐらい遅く弾くことがあります!
また、この32分音符が最初に出てくるところは、音よりも、その前の「間」のほうが大事です。
枝の上で小鳥が上下している様子をイメージしてみました。
それを具体的にしたのが、「一度押してからさらに緩めてゴー!」という右手のタッチです。
後に、これは曲の最初に使うのが効果的となりました。

さて、ロンサールの核心です。
ベースがE開放、上が♯ファとシ、内声が<シ♯ドミ♯ファレ♯ドシ>と不気味に動くところ。
プラテーロが「私」の肩越しに鼻先をヌッと突き出すところ。
読み手も演奏する者も一番乗る場所!
それが、なんであるか?などよ〜〜く知っているのに、知らんふりする。
この内声をどう弾くか?
一応私のアイデアは、「iの揺らぎ」と「P」を交互に使っています。

「頭の上、枝の高みでは〜」の小鳥が跳ね回っているところは、ソロでは相当早く弾きますが、
朗読とでは、早く弾くと逆に「何言ってるか分からない」ので、倍以上遅くしています。

詩中詩を読む場面。
「人はいかに見ん 枝の上に〜」
この曲の出始めにはアフタクトの<レミ>はなかった。
これは、イメージとして、最初の部分はいわば本の「本体」ここではその本をめくる動作としての<レミ>があるのか? なんという心使い。
それなら弾き手は?
ということで、この部分では朗読に耳がいくように、一本調子で弾く。が、出始めは・・・・と考えました。

表現する!という観点からの演奏と、朗読のバックという観点からの演奏。さらに、その中間的な演奏。
これを実現するには、新しいタッチが要る。
タッチというより、タッチを切り替える「技」が要る。
そう考えると、面白さがどんどん増す。
課題が増える。
コンサート直前の状態で、この曲が私の中で「生き生き」し始めたのです。
「この生き生き感は演奏者だけにしか感じられない世界!」
もちろん、朗読者も同じ。
さすがに、言葉には出来ません。
でも、音楽する喜びを実感出来た瞬間です。


 



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