視聴室 掲示板
 

島崎陶人ギターサロン:私の過去の記録



●「島崎加代 物語」
・・・・・はじめに・・・・・

2015年9月15日、加代が最後の入院をした時、私に1つのアイデアが浮かびました。
・・・・加代との想いでを1日1話づつ書こう・・・・。
病院のベッドの横で書き始めたこの物語を、加代は最初
「エエように書いてよ」
と注文を出しました。
「とりあえず100話まで書くから、しっかり校正してや!」

純情編「亀パン」を書いて持って行くと
「今日は書いた?」 
「おおよ!今日は亀パン物語や」
すぐに読みだして、しばらくすると、
「ちょっと書き過ぎちゃう?」
「なんでや?」
「知らん人が読んだら、どんなに可愛い娘かと思うやん」
「可愛いからエエやん」
「ありがとう」
「・・・・・・・・」

普通の夫婦の物語が面白い訳ありません。二人にしか解らない世界かも知れないからです。
「変なこと言うけど・・」
「なんや?」
「私が死んだら・・・・葬式はいいから、偲ぶ会やってくれへん?」
「・・・・・・・・・・・・」
これに答える言葉を思いつかないまま、沈黙の時間が過ぎて、
「校正出来たか?」
「あ、まだや・・」
「間違い少ななったやろ?」
「うん」

病院での退屈な生活の中で、自分の話を読むのが楽しかったのか、毎回私が行くと、真っ先に
「今日は?」
「書いたよ!」
と小さな声で聞くのが挨拶になってしまいました。

40話を書く前に、逝ってしまいました。
私を知っている人で、加代のことを知らない人はいません。
おそらく、二人で一つの人格「島崎さん」というイメージではないでしょうか?
この物語を読みながら、先に旅だった加代を一緒に偲んでください。

ところで、夫婦喧嘩をしたことがない夫婦なんているのでしょうかね? 
何があって私が怒ったのかは忘れましたが、初めて私が怒った時、
「怒ったらあかん!」
「今から2日間怒る」
「アカン!1分にまけて!」
「アホ、2日が1分にまけられるか。5分や」
「そしたら2分」
「あのなあ、2日を5分やで・・・・・4分!」
「3分!」
「・・・・・・しゃあないなあ、そしたら3分でエエわ」
「もう3分経った」
「ほんまや!・・・・・ん?俺、なんで怒ってたんや?」

これが最初で最後の私の怒り??  
今思うと、絶対加代は悪くなかった! 
私のわがままに違いない。
いや、待てよ・・・・ひょっとすると、このギャグを試したかったのかも・・・・・。おい!

加代の優しさを受けた人、私たち家族から見れば
「月とうさぎ」であることを胸に刻んでお読みください・・・。


●加代と敏雄の物語<純情編>
    敏雄と加代の物語   <純情篇>

敏雄「夏の山はしんどいなあ・・」
加代「家の中ばっかりにいるからや、しっかり歩きよ」
「へいへい、へいへい、へいへいほ〜」
「そや、あんた草花に詳しかったなあ、確か・・」
「おお! よくぞ言ってくれた、花のことなら、なんでも聞いてか」
「夏の七草って言える?」
「おい! お〜い!」
「なんやのん、急に大きな声出して、ビックリするやないの」
「夏の七草・・・・それ、秋の七草の間違いちゃうか? はめようとしたやろ?」
「おお! おお! お〜〜おお!」
「って、あんたも大きな声やなあ・・」
「それがやね、昔はなかったんやけど1945年、ナンタラ学会が決めたんやて」
「・・・・あら?  年号まで入るん・・」
「あかぎ、いのこづち、ひゆ、すべりひゆ、」
「ちょいまち、ちょい待ちグサ」
「そんな草は入いってません」
「人生で初めて耳にする名前や、ウソ言うてるんちゃうか?」
「しろつめくさ・・」
「それ、知ってる。あさえと小さな妹に出て来た」
「ひめじょおん、つゆくさ、以上7草!」
「・・・・え〜〜っと、なになに、ほうれんそう、みず菜、ニンジン、たまねぎ、ネギ、レタス、もやし・・」
「それは、コープに並んで売ってる野菜や!」
「ははあ〜〜、さいならあ〜〜」
「あ、ちょっとちょっと、これ見て見て」
「ほうほう、可憐な小花を咲かせているやないかないか・・」
「やろ、それがなあ、可哀想な名前やねん」
「花に可哀想な名前ってあるん?」
「へくそかずら、って言うねん」
「屁糞下図裸?」
「漢字で言わんでもええ、カタカナで言いなさい」

敏雄君はギタリスト、部屋にこもってばかりの生活。そのくせ「閉所恐怖症」
妻の加代さんは山歩き、歌、宝塚観劇、英会話、絵手紙、時々ギターも弾くという活動派。
夏のある日、敏雄君は1年に1回ぐらいの山歩きに誘われて、二人で六甲山に出かけた。
山歩きが好きな加代さんは毎週のようにアッチコッチの山を渡り歩く。
その時、敏雄君は年寄相手に囲碁をしたり、いつ来るか解からない音楽のインスピレーションを待っていたり。
時々ギターを弾いたり、趣味の楽譜を書いたり、ぼ〜〜っと過ごしていた。

これは、自称ギタリストの島崎陶人とその愛妻加代の物語。
御用とお急ぎでない方は、ま、いっぺん読んだってください。

夫婦というのは一方が几帳面ならもう一方はエエ加減。
一方が文系なら、片や理系。また、夫が男性なら妻は女性・・・・。
という風に、それぞれが相反しているのが理想だと敏雄君は思っている。
モチロン加代さんは、そうは思ってない! どう思っているかは永遠の謎。
仮に、服を脱いでそこいらに脱ぎ捨てていると、服が自分で所定の位置に戻っている!
と敏雄君は信じている。
そんな夫に連れ添って人生を歩んでいる加代さんの物語。
それも夫から見た加代さん物語です。

では、二人のなりそめから始めましょう・・・・・、え?
別に順番通りでなくてもエエ、ですって・・・・それも、そうやなあ・・・・
では、まあ思い付くことから書いていきましょうかね。


●<ひとめぼれ>
<一目ぼれ>

大阪駅から地下鉄四ツ橋線に乗って最初の駅、肥後橋で降りる。 
大阪フェスティバルホールの丁度裏手に大手の商社、三井物産のビルがある。
そのビルを入り、地下の大きな食堂に向かうと、マンドリンとギターの音がこだましてきた。
敏雄君は、今日生まれて初めてマンドリン合奏の指導をするために威風堂々と、
・・・・いやいや、おっかなびっくり、ここMGM(三井物産ギター・マンドリンクラブ)にやってきた。
なんせ合奏の経験など全くないのだから・・。
本来は先輩ギタリストが教えに来ているのだが、今日は都合で代わりに教えにきたのだ。
マンドリンという楽器は初めてだし、マンドリン合奏などは、その存在すら知らなかった。
そして・・・。
マンドリンを弾いていた一人の女性が敏雄君の姿を見ると、練習を中断して、敏雄君の前に来る。
ニコニコしながら心地よい声で、
「ギターの先生ですね?」
・・・・「アレ?光ってる!身体が光ってる?!決めた!この娘僕の嫁さん!」・・・・
「先生?ですよね?」
「あ!スミマセン。はいそうです。杉浦さんの代教で来た岡田です。
  (この頃は島崎ではなく岡田という姓でした。後に養子縁組をして島崎に改名)」
「今日はよろしくお願いします。私は、ここのマネージャーで新岡といいます。」
・・・・可愛いなあ! 今日1回だけ教えるのはアカン! よし、毎週来る。・・・・
「あの〜・・先生?」
「あ、はいはい。実は僕マンドリン合奏って生まれて初めてなんですよ。」
「ええ!そうですか。(大丈夫かいな?)杉浦先生はいつも1時間は遅れで来られるので、
まだメンバーが揃ってないのです。しばらくお待ちください。」
「あのお・・、お名前は?」
「え?(さっき言うたやないの!)シンオカです。」
「え?シンオカですか?」
「新しい岡と書きます」
「すると、僕が岡田やから、シリトリ出来るなあ!」
「はあ?今何か言いました?」
「(しまった、おやじギャグや!)え〜〜っと、君のパートは?」
「ファーストです。」

と楽しく話していると、妙に態度のでかい男性が近づいて、
「え〜〜っと、この曲知ってますか?」
「知りません!(キッパリ)」
「では少し説明しましょう。」
「いえ結構です」
「でも、初めてなら・・」
「要りません!楽譜があるでしょう。見たら解ります。」
「そうですか、では・・」
・・・・フン!解る訳ないやろ!・・・・  しかし、可愛いなあ!・・・・

ところで、この時代、世の女性はみなさんミニスカートを穿いていた。 
ご存じとは思いますが、このミニスカートは、もうちょっとでパンツ丸見え!という短さ。
足を組んで弾くマンドリンのスタイルでは、指揮者の位置からファーストを見ると、かなりキワドイ。
「・・(これは、目のやり場が一点集中になるなあ)・・」
そして、敏雄君は楽譜半分、加代さんの太もも半分を見ながら、タクトを取った・


●<初デート>
「初デート」

一目惚れした次の日。先輩の杉浦さんに・・
「杉浦さん。頼みがあるねん。MGM僕に行かせて」
「エエよ。気にいったか?」
「合奏はどうでもエエ。新岡さんって知ってるやろ?」
「マネージャーや」
「嫁さんにすると決めた!」
「そんなアホな・・」
「で、頼みやが・・、来週の日曜日、先生交代親睦会・・とかなんとか口実作って、
役員3人連れてどこかに行こ。そこで、杉浦さんは他の2人を引き付けて・・」
「分かった、分かった。しかし、行動早いな〜」
「あれだけ可愛い、声はエエ、心は優しい・・となると、競争相手の2人や3人はおる。
一日も早く手を付けな!」
「そらあ、彼氏はおるやろ!」
「諦めてもらう!」
「岡田君はギター弾きやで、相手の方が強いと思うがなあ・・」
「シャーラップ!それより、どこ行く?」
「奈良公園は?」
「決まり!」

奈良公園がどんなところかも知らず、彼女の意思など考えず、
モチロン新岡さんの好み(男性の)など全く無視して“身体が光っている”“一目ぼれ”
で即行動に出た。その行動力に自分自身がビックリしていた。
そして、初デートの日。いつも家で着ているよれよれの綿パンと
100円ショップでも売ってないようなTシャツをさっそうと着て奈良公園に登場した。

「新岡さん、おはよう!」
「あ!おはようございます。・・(な・なんという格好や、センスのかけらもない)・・」
・・・・<お、この驚きの目。さては・・・・>(恐ろしい勘違い)
「ボートにでも乗ろか?」
杉浦さんが提案する。素晴らしいアイデア!
まるで競歩の選手のように新岡さんを連れてボート乗り場へ行く。
回りの景色など何一つ目に入っていない。
前回も書いたように、この頃はミニスカート全盛時代。
この格好でボートに乗ると、ヤバイを通り越してモロ。
向かい合って新岡さんを見ると太ももの奥まで見える。
右目は顔を、左目は太ももをみながらボートを漕ぐ。
女性に免疫がない敏雄君は、女性に恋するという男性の心の変化、身体の変化に人生最大のピンチ!
・・・・いや、喜びに満ち満ちていた。


●<先制パンチ>
MGMのレッスンも3回ぐらいになると、マンドリンの正体も、合奏のレベルも、人間も、
自分と気が合うとか無理!とかの個人情報がそれぞれに整う。
ギターパートで中村さん(仮名)という男性に、
「中村さん、今日練習が終わったらちょっとだけ付き合ってもらえませんか?」
「いいですよ、何か困ったことですか?」
「そうやなあ、困った!といえば困ったことかも知れん。オモロイといえばオモロイ・・かな」
「よう分かりませんが、私もちょっと質問したいことがあるので、ちょうどいいですね、では後で・・」

この頃、秋の商社マンドリン連盟(商マン連)合同コンサートという企画
 (大阪の大きな商社が集まって合同で演奏会をする、まあそれぞれの商社の腕比べ)
があり、MGMもかなりレベルの高い合奏曲とギターとマンドリンの小編成のバロック作品を練習していた。
練習が終わると新岡さんが不安げな顔をして、
「先生、ちょっといいですか?」
「はい、どうしました?・・(不安げな顔も可愛いなあ・・、声の調子も良いし・・)・・」
「練習なんですが・・・・」
「はい、・・(ハテ? なんやろ??・・)」
「みんな仕事で疲れているので、もう少し緩めてもらえませんか?」
「(・・え?!これ以上ゆるめたら音楽にならへんがな・・)・・」
「先生?!(・・聞いてるんかいな・・)」
「あ!ゴメン!分かった。そらそうやはなあ・・。僕はこれが仕事やけど、みんなは娯楽やもんなあ」
「いえ、本当ならちゃんとした音楽教えてほしいんですが・・。音出したらそれでエエという人も多いので・・」
「・・(よし決めた。新岡さんだけに音楽のレッスンしよ。それ以外は・・・・・・)・・」

新岡加代さんは自分の嫁さんにする。
すると決めたら相手がマンドリンであろうと、あんまの笛であろうと“音楽”の道に沿った練習でなければなりません。
この道だけは譲れない敏雄君です。
「次回から一人を除いて真剣には音楽のレッスンしませんから大丈夫です」
「ええ??はい?・・(なんのことやら?、まいいか、一応伝えたし)・・」
「前の杉浦先生とは全く違うタイプなので、みなさんとまどっていると思いますが、
 少しづつ慣れていくと思います。
 僕の言うことは、今すぐには分からなくてもやがて・・あ〜あ〜なるほど!という日が必ずきますから」
「はい。・・(いいやいな、それがややこしい言うてるのや!)・・」
新岡さんはペコリとお辞儀すると、少し急ぎ足で去って行った。
その後ろ姿をヨダレを垂らしそうにポカ〜〜ンと口を開けて見送っていると、
「先生、行きましょうか?」
中村さんが声を掛ける。

「中村さん、いきなりで申し訳ないですが、結論から言います」
「いきなりですか?はい、どうぞ」
「僕は新岡さんに一目惚れしました。私のものにします!」
「・・(ええ!! なんやて、そんなアホな、新岡ちゃんは、私が狙っていたのに)・・」
「初めて会った瞬間に決めたんです」
「そうですか・・・・・(エライコッチャ、)・・」
「それで、相談というのは2つあります。
 1つは彼女に想いを寄せている人、何人かいると思うのですが、ご存じですか?」
「・・(ご存じもなにも、この私ですがな)・・ はい、何人かはいるでしょうね・・」
「その人に伝えて欲しいのです。諦めてください。と・・」
「・・(んなアホな、横取りや、しかし)・・」
「もう1つは彼女と結婚したら、MGMは辞めます」
「あのお、どうしてそれを私に?・・(メチャクチャはっきりしているなあ)・・」
「言いやすい方だから。・・(本当は中村さんが狙っていると思ったからですよ) ・・ 
 ところで、中村さんは僕に質問があるとか」
「ギター伴奏のことで・・(もう、どっちでもエエワ)・・」
「伴奏は一番難しいんです。まあゆっくり練習しましょう・・(コードは苦手やから、ヤバイ)・・」
「先生が伴奏を弾くと、旋律パートが弾き易いんです。・・(悔しいけど、
 前の先生は言うてることさっぱり解らなかったし、伴奏をしてくれても弾けなかったからなあ)・・」
「ま、一応プロですから。・・(へえ〜、そうなんや)・・」
「いえ、そういう意味ではなく、なにかコツがあるのかな?と思って・・
 (なんか自分の声が少しおかしいぞ、動揺している)・・」
「では、来週伝授します・・(やっぱりな、中村さんも新岡さんを狙っていたな!よし一人陥落)・・」
「楽しみにしています。・・(ガックリ!)・・」
「では、また来週。」

敏雄君の感は当たっていた。中村さんは新岡さんに「ホ」の字ちゃうかなあ〜と感じた。
それで先制パンチをかけたのだ。 1回戦完勝。


●<亀パン>
「商マン連」というややこしいコンサートのおかげで、合宿なる行事が行われた。
確か場所は○○寺。ところで、私は枕が変わると眠れない!
合宿だから、きっといっぱい練習さされたのだと思う。(全く記憶にないが・・)疲れているはず
なのに一睡もせず朝を迎える。日が昇り始めたら布団にいてもしかたない。
寺だから結構広い庭があり、起きてギターを小さな音で弾くことにした。
ウソみたいだが、その頃は割と練習していたのだ。そして、しばらくすると・・・・
後ろの方に人の気配! ん!? 何者・・。
後ろを見ないでも感じる!この雰囲気は?!
・・・・新岡さんや!・・・・
見なくても解る! それなら、基礎練習してても面白くない、何弾く?
タルレガのマズルカ「夢」にしよう。  
少しづつ、気配が近くなる。良い香りもする。気配が止まった、すぐ近くで止まった!
最後のCコードで終わると、後ろから、まるで天の鈴の音のような声で
「先生!綺麗な曲ですね!」
新岡さんの声がする。・・・・君の声程でもないよ!・・・・と言うのを堪えて
「あれ? 起きちゃったかな・・・・(しらじらしい!)」
「なんという曲ですか?」
「タルレガという人の作った、マズルカ。副題に“夢”と付いている。 途中の3度進行が
 大好きなんです。(上がドレミミ、3度下がラシドド) 」
頼まれもせんのに、その部分を弾く。 
「なんて聞こえます?」
「え? なにかしゃべっているんですか?」
「そう! この部分は、最愛の人にささやきかけるんです。」
再度弾く! そして・・
「♪〜好きだよ♪ 繰り返して、 ♪〜大好き ・・・・(新岡ちゃんが大好き)」
  ・・・・おお! 一大ラブストーリーや!  きっと敏雄君はこの時、ジョニーデップみたいな顔してるに違いない! 今はただの禿げおやじやけど・・・・。

なんという幸せな時間。誰も邪魔するなよ! と念じていたら・・・・・
一発ノックアウトしたはずの中村さんが、オカマに成りたてのおっさんみたいな声で
  (スミマセン、でもね、その時はそう聞こえたのです、はい)
「センセイ! 良い雰囲気やねえ〜。」
・・・・今日のレッスンでは死んでもらいます・・・・

そして、このことがきっかけで、次の週の日曜日。
新岡ちゃんを六甲に呼び出すことに成功。
当時は電話といっても各家庭に1台しかないから、そうそう自分たちで楽しい話は出来ない。
「次、いつの何時にどこそこで会おね」
これだけでおしまい。その時まで連絡出来ないのです。今では考えられない状態。
で、敏雄君は待ち合わせ場所の阪急六甲に、約束の時間より3時間・・・・1時間・・・・30分ぐらいは
早く来て、大阪から到着する電車から降りてくる人波をジ〜〜〜〜っと見る。
約束より1本早い電車から、大きな亀の形をしたパンを、大事そうに左腕に抱えて
ニコニコしながら近づいてくる天使のような女性!
この時の加代さんの姿は、1枚の写真のように記憶に刻まれている。

ただ、この時の姿があまりに強烈で印象的だった為に、その後の展開をすっかり忘れてしまったのです。
この後、どこに行ったのか、何を話したのか、全て忘れている。ただ、まだ手も握ってなかったことだけは覚えています。
純情!!
ところで、携帯もメールもないこの時代。二人の交流方法は、何だったでしょう?
・・・・・・・・・・シンキング・タイム・・・・・・・・
それは、交換日記!
いったい何を書いたのか・・・・・すっかり忘れてしまいましたが、きっと音楽のことが中心・・・・
いや、やっぱり新岡ちゃんのことばっかりかも・・・・・・。

    ところで・・・・今回悪役を演じた中村さんは、MGMでは一番お世話になった方で初めから
    気が合った方です気安さから、思いっきり悪役に徹して頂きました。中村さん、ゴメンネ!


●<ちょっとづつ返して・・>
女性に何をしたら喜ばれるか?相手は自分をどう思っているか?自分の立場は?
何一つ分かっていない、分かろうとしない。これが敏雄君。
一旦受け入れたら、全てを受け入れられる。反対に受け入れられない!となったら理性で解っても高い壁を作ってしまう。
ある時、「解らない」ということは×(ダメ)なのか?という疑問が湧いた。
<怠慢からくる無知>と<単なる無知>  <間違った知識>と<正しい知識>
いったい<正しい>というのは何を指して言うのか?どこまでが怠慢なのか?
事実という言葉にしても、大勢が認めた内容、あるいはその時点で正しいと判断した内容・・・・
敏雄君にはこれが全て理解できなかった。<お金>という感覚もよく解らない・・・。
音楽で感じた自分の感性。加代さんと会って芽生えた「愛する」感情。
この2つは唯一実存する(理解出来る)内容。
それ以外は・・・・本当は全く理解出来ない・・・・我らの敏雄君(いつから??)今日は・・・・
手も握ることも無く、大阪は「なんば」界隈を新岡ちゃんと少し離れて歩いていると、
「きゃ!」という声。通りすがりの男が新岡ちゃんの腕を握った!
「なにするんや!」言うのと、男の手を強烈に払いのけるのが同時。
「なんや、男がおったんか!」
捨て台詞を吐いて、サッサと逃げられる。

「大阪な怖いなあ!二度とこんなことないように、手は僕が握る!」
まあ、手を握る絶好のチャンスではあったが・・・・
こんなことで初めて手を握るのも、少々情けないことではあった。 そして、

その次の週。今度は神戸でデート。  元町の三越に行く。
贈り物、といっても何を、どういう形で渡したものか・・・・サッパリ解からない。
なんとなく流れで渡したいという思いで、慣れないデパートに誘う。
そもそも「お茶」に誘うこともしたことがない! そういう発想がないのが敏雄君。
一緒にいるだけで幸せ。お話しているのが(声を聞いているだけで)幸せ。
ま、この時点では、まるで中学生の初恋物語・・。

さて、デパートには行ったが要領がサッパリ解からない。全てを新岡ちゃんに任せる。
「あのさあ、今日はなにか新岡ちゃんにプレゼントしたいねん。」
「ええ!なんで?」
「そら・・なんでもや。なんでも買ってあげたい心境なんや。
 あ、そやけど予算に限りがあるから・・・・」
「うん、そしたら・・・・・」
こうして、しばらく店内を歩いていると、
「私、口紅を使ったことないから、」
「よし、じゃあ、それにしよ!」
まあ、口紅なら買えるやろ! ホッとしながら、堂々と売店に行く。

2〜3の色を選んでいたが、すぐに決めると
「ありがとう!」
「どういたしまして、あの・・その口紅やけど・・」
「え?なに?」
「ちょっとづつ返してな・・」


●コーヒーゼリー
          敏雄と加代の物語 <ラブストーリー篇>

「コーヒーゼリーと講演会」

一度手を握ってしまうと 次のステップへは素早く移れる。
口紅を買うことで「中学生の初恋」が「大人の恋」へと発展する過程やいかに!?
きっとイロイロと作戦を練って苦労したはずですが・・・・この部分の記憶が抜けてしまっている・・。
なぜ?この一番大事な場面が記憶から消されたのか・・読者(誰やねん!)には大変申し訳ありませんが、
次なる場面はド〜ンと飛んで、ここは大阪フェスティバルホールにほど近い、喫茶店・・・。

「お待たせ!」
ニコニコしながら、小走りで近づいてくる。
この時が最も幸せな時。これから二人だけの時間が始まるのだから・・・・。
「お昼に会うなんて初めてやね。」
「時間はあまりないけど、とにかく中に入ろうか。話ってなに?」
今回は新岡ちゃんから、面白い話があるから昼過ぎに会社の近くで会いたい、というもの。
もちろんすっ飛んで行きます。レッスンなどそっちのけで・・
「ん? これは? どういうもんや?」
「どれ? ・・・・コーヒーゼリー・・・・知らない」
「試しに注文してみよか?」
「そうしよう、そうしよう」
今では普通にどこにでもあるコーヒーゼリー。でも、この頃に出来たんですよ。
同じものを、しかも、この時はどんなものか二人とも知らない。
たったこれだけのことで敏雄君は嬉しくてしかたない。
ここで、問題です。この「コーヒーゼリーのお味は?」   
      そら、アンタ、初恋の味ですがな・・・・スンマソン

「先生、この方知ってますか?」
「串田孫一・・。知らんなあ〜」
「この日曜日に、串田孫一さんと、島崎敏樹という方の講演会があるんです。」
「ちょい待ち。島崎敏樹さんいうたら僕の愛読書の著者やないか!」
「ええ〜〜!串田孫一さんは私の大好きな随筆作家さんです」
「ということは、お互いが大好きな人の講演会!運命的偶然を感じるなあ〜」
「じゃあ、一緒に聞きに行きましょうね」
まあ、我々のようなインテリになると、映画を見るとか、遊園地に行くなどといったチャラチャラしたことはしない!! 
文化的な活動をする訳です、どうぢゃ、参ったか!(誰に言うてるねん・・)

この講演会は敏雄君にとっては大きな刺激となりました。
特に串田孫一さんの話に感激した敏雄君は、この講演の後、コーヒーゼリーの喫茶店で熱く加代さんと語り合ったのです。
この時の内容を一言で言うと・・・・・物書きはウソを書く・・・・・
   これは非常に大事な内容が隠されています。
例えば、駅前にある屋台の「たこ焼き屋」の前を通る。
    その時、お客さんにたこ焼きを1個オマケしている姿を目撃したとする。
    たったこれだけのことで、作家は、このたこ焼き屋の物語が書ける。

同じようにギターでも@弦の7フレットの音を、想像上での理想の音で鳴らす。
それだけで名曲が1つ生まれる。これが本当の作曲家。これが音楽の感性。
たった1音で、音の物語が書ける。 なにを隠そう、この物語も、たった1つの記憶だけで書けています。
今は島崎加代です。でも新岡加代と呼ぶだけで、何かが甦るのです。
明日も、新岡ちゃん! と声に出す。すると・・・・・・


●ギターを作る
「ギターを作る」

ギタリストとしてスタートした敏雄君は、この世界に入るなり、自分のレベルを知る。
というか自分のギター界での位置を感じる。
ギターを弾くことだけではこの世界では通用しない!そんな予感。
自分の感性は信じているので、その感性だけで判断していた。

・・・・ギターを作ってみよう!・・・・

突然思い付いた。 その頃、加代さんの住んでいる八尾の近くに、
ギター製作者の山梨君という若者が工房を持っていたのを幸いに、
「山梨君、2年かけるから俺にギター1台作らせてくれへんか?」
「いいですよ、全部一人で作りますか?」
「もちろんや、ギタリストは出来上がったギターにいろいろ文句言うけど、
 実際のことは何も知らん。やっぱり教える仕事するなら、経験しときたいのや」
「本当ですか?」
「え?そらどういう意味や?」
「加代さんと会う口実違いますか?」
「ドキッ! さすがやなあ・・」
「やっぱり」
「あのなあ、1週間に2日来る、泊りがけで・・・・」
「なるほど、それならゆっくりデート出来ますね」
「うん、それが第一や、しかしギター作りたいというのも事実やで」
「では、早速掃除から始めましょうか!」
「おいおい、師匠。  そやな、しかし、きちゃないなあ・・」
「ウソですよ。きれいにされたら仕事出来ませんから、このままでいいです」

こうして2年間の期限付きで山梨工房に通うことになりました。
彼の工房は瓢箪山(ひょうたんやま)にある。加代さんは八尾。車ならすぐのところ。

ここで新岡加代さんの家庭について少し触れておかなければなりません。
彼女の家にはマージャンのすこぶる強いお父上がいる。
献身的な母上もいる。3人姉妹の末っ子が加代さん。  以上!
さて、週に2回しっかり会える環境作りに成功した敏雄君は、
ギター以外にマージャンを覚えなくてはならなくなった。理由は父上のご機嫌取り!
曰く「マージャンの出来ないような者と加代を付きあわせる訳にはイカン!」
ギター製作者の山梨君という青年が、これまたマージャンが大好きときている。
楽しい加代さんとの短いデートが終わると、加代さんの家でマージャンが始まる。
お隣の散髪屋さん、加代さんの父上、山梨君、そして敏雄君。
このゲームは始まるのが夜、終わるのはたいがい深夜。
モチロン加代さんは既におやすみ・・・・
寝顔を見ることもなく、山梨工房へ帰り、男二人で寝る・・・・<アホラシ!>
こんな生活が約2年。

その間のことは別に書くとして、自作のギターが出来ました。名づけて「かよがえる」
ヘッドの部分を遊びでカエルの目のような形にした。
何といっても加代さんを思いながら作った訳だから、本当は「加代」と名付けたかった! 
が、それほど良い出来でもなかった・・・・というより大失敗したので「加代」の名前を入れるのは抵抗があった。
しかし、素人の作品には思いが入っている!そこで「かよがえる」に決定。後にコンサートでも使う名器に変身した。
この失敗のおかげでイロイロ新しい発想が湧くのだ。 
経験に無駄はない、と思う。
どうやら我々人間はこの肉体を通して経験することが義務付けられているようだ。
必要な時に、必然的に経験させられている!
これが真実のようだ・・・。
経験したくないことだってあるにはあるが・・。


●1週間の別れ 
「1週間の別れ」

「敏雄君、ワシはお前のことは好きや。お前が時々連れてくる友達も好きや。人間としても認める。
 が、お前の仕事がどうにも加代を幸せに出来るとは思えない!」
「それは・・・・つまり・・・・」
「別れて欲しい!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ギターの道に入る時<結婚は出来ない!>と覚悟していた。
しかし、加代さんという女性に巡り会えた瞬間、全てが飛んだ。頭で考えた通りに事は運ばない。
一直線に加代さんを追いかけ、自分と一緒になるんや! これしか思い浮かばなかった。
しかし、我が家の人間も
「お前が結婚して・・・・どないして生活するねん?!」
生活力は自他共に認める。無い!
顔以外エエとこのない敏雄君は、加代さんのお父さんに一言も返せなかった。
そして、二人は話合った末に
「・・・・・・別れよう・・・・・・」

1週間後には会える、と待ち焦がれる1週間と、もう会っても話せない、ただ顔を見るだけ。
練習が終わると、そのまま別れる・・・・。そんな思いの1週間とでは、意味が全く違う。
道を歩く、・・・・ここ、一緒に歩いたなあ・・・・そう思った瞬間に涙が湧くように出る!
六甲駅を通ると、亀パンを持って立っている加代さんの姿が一瞬見えたような気がする!
とたんに涙があふれる。

そんな時、手が勝手にシューマンのロマンツアの楽譜を取る。
一応ギタリストなので毎日ギターは練習している。新しい曲にも挑戦はする。
この時のシューマンは敏雄君の気持ちとピッタリ一致したのだ。
弾いていて涙が沁み出す。
「シューマンも同じ経験したんやなあ!作曲家は、この気持ちを音楽に出来るんや!」
演奏家は、楽譜から音だけ取ればエエというもんちゃうなあ・・。

新岡ちゃんと会えない! この寂しさは人生で初めての経験。そして明日はその1週間目。
マンドリンクラブに教えに行く日。寂しさも限界に達した。
「アカン!無理や。別れるなんて出来ない!周りの反対は周りの意見や。
 二人の想いの方が大事に決まっている!」
結論が出た。

練習が終わると、目の周りが黒く、いつもの可愛い顔とは別人の悲しい顔の新岡ちゃんが
「平然とした顔してる! なんで?」
「無理や。別れるなんて出来ない。戻ろ!二人の問題や!」
「ウン!」
お互いが、この1週間をどんな気持ちで過ごしたか、よ〜く知っている。
こんな気持ちになるなら、周りがなんと言おうと、一緒になる!
敏雄と加代は、この夜、深く結ばれるのだった・・・・。って、オイオイ!


●そして・・・
「そして・・・・」

二人の想いが結ばれたら、もう恐れることはない!
まあ、この頃、加代さんの稼ぎは敏雄君の3倍以上はあった!
二人が一緒になれば、なんとかなる。
敏雄君はギター音楽にどう貢献するか、全くの未知数。というより限りなく0に近い。
「夢見る青年」と言えばカッコイイが、「夢を追う、さえないギタリスト」が正しい判断。
ま、恋する二人には現実は見えない! いや、加代さんは見えていたし、その現実と戦ってきた。
敏雄君だけが60歳を過ぎないと見えない、聞こえない、感じない。

しかし、このことから二人は結婚に向けて、具体的に行動を起こす。と書くとカッコイイが・・・・
結婚することが、どんなことか全く解っていなかった敏雄君は、いつもと同じように、ただただ新岡
ちゃんの顔を見て、声を聞いて、香りを感じて・・・・・こういう状態を音楽用語では「ノーテンキ」といいます。  
・・・・・・・え?  音楽用語やない?!   アラ?

「どこかの教会で式挙げるか?」
「そやねえ・・どこかの・・・・」
「おお! こんなところに教会が?」
いつものように二人で散歩感覚で歩いていると・・・・
丘の上にでもあれば絵になりそうな、こじんまりした教会が街中に忽然と現れた。

「この教会で式を挙げるなら、あと2回ほど来ていただきます」
・・・・<え? まさか信者にならされるんか?・・・・。なんか冴えない牧師さんやなあ・・・・>
「キリスト教の結婚感をお話しますので、式までに今日とあと2回おいでください」
・・・・<そういうもんか、油断したなあ・・・・たまたま通りがかっただけやのに・・・・>
「ところで、今日はもう少し時間はありますか?」
「ええ、ありますが・・なにか?」
「お話の前に、男性にだけ少し立ち入ったことをお尋ねしたいので、こちらへ・・」
と教会の中にある小さな部屋へ敏雄君だけが通されました。
「お二人は、もう結ばれましたか?」
「・・・・・(なんじゃとて!?) はあ、一応・・・・」
「はい、結構です。え〜〜、ついでにと言っては失礼ですが、回数は?」
「回数! ですか? まあ、月に2〜3回・・・・」
「それは少ない! お若い二人なら、セックスも大切なんですよ!」
・・・・ナヌ〜〜。キリスト教はそれ勧めるんかいな?!・・・・

違った環境で育った二人が「好き」なだけで一緒になる。実は、これはエライ事なのです。
二人の後ろにある家族、風習、宗教、経済力、考え方、etc.etc. 
それらを全く無視して一緒になった敏雄君は加代さんの苦労など何一つ知らずに・・・・・
嬉し、恥ずかし、新婚初夜を迎えたのです。(はしょり過ぎや!)

六甲山ホテルで初夜を迎えた二人は・・・
「今日から晴れて二人は夫婦やなあ!」
「そやね。こうして二人で寝るのは初めてやね。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくや。そこで、夫になった証を今から示す!」
「・・・・??・・・・」
<プ〜〜>
初夜の儀式。はじめは「おなら」かい!

この時、加代さん24歳。敏雄君27歳。現在は63歳と66歳。
いつのまにか二人の夫婦時代はもうすぐ40年になる。
この物語はモチロンまだまだ続くが一旦現在(今)になる。
加代さんは乳癌から転移を繰り返し、今は卵巣に転移、病院で治療中。
私は、その横でこれを書いている。

大切な人なら、どんなに大切にしても、し過ぎることはない! 
それよりなにより、普段ちっとも加代さんを大事にしていない自分と向き合った。
これからの二人の生活を大切にするには一度振り返ってみよう。そう思いました。
そこから見えてくるものは?


●いつも横で鳴っていた 
「いつも横で鳴っていた!」

私の天職はギターの謎解き。ギターを弾く人が音楽の世界に楽しく行く為の道作り。
その為には「メソッド」がいる、まあ地図みたいな物だ。
去年「とうじんメソッド」なるものを高知の西岡さんが作ってくれた。
その内容は<実践すれば誰でも気が付く! 揺らぎタッチ>
私が何か発見した時、まず最初に聞いてもらうのが加代さん。
毎回、毎回同じ問いかけ、たった一言
「どうや?」
これだけ、何がどうでどうなのか。主語も述語もな〜〜んもない。でも、これだけで全てが通じる。
そして、加代さんの答えはいつも的を得ている。
まるで、自分がそのことをずっと練習してきたかのように・・・。

最初の助言は私から聞いたのではない。本人がボソッと一言
「あんたの音は綺麗な音や! ただ、綺麗やろ、綺麗やろ!と言ってる・・」

結婚して何年か経って、私が求めていた美しい音に疑問を感じ始めた頃、改まってではなく
普段のなにげない時、・・服を着替えている時・・とか、・・掃除をしている時・・、
食事が終わってテレビを見ている時・・・・
まるで魔法のように心に響く。心地よい声で語りかけてくれる。

「そうか、・・・・美人がその美しさをひけらかすみたいなもんやな?」
「うん、少しなら気持ち良いんやけど、毎回、全曲となると、だんだん鼻につくねん」
自分では否定したくても、何故か出来ない。
それはずっと練習してきた音だから。
でも、加代さんに言われると、なぜか納得してしまう。そして、変えられる!

コンサートがあると、楽屋ではいつも二人っきりだ。
毎回毎回ビクビクして落ち着かない私に、
「今までやってきたんでしょ!大丈夫。解る人には解る!」
「エエ音してたよ!」
短い言葉・・・・・いや、言葉ではない!
ギターより、どの楽器より心地よい加代さんの声!
初めて出会った時に掛けてくれた声。ここから敏雄君の音楽は始まった。
自分が求めていた音! それが今回の入院でやっと解った!
ギターの音だとばっかり思っていた。
自分が出す! そう信じていた。
実際は毎日聞いていた。
いつもいつも横で鳴っていた。
やっと気が付いた! 
こんな感性でギタリスト!とはちゃんちゃらおかしい。
自分で「楽園サウンド」と名前だけ付けて、これがギターの理想の音!などと公言してきた。
その「楽園サウンド」は、いつもいつも横で鳴っていた「加代の声」
やっと気が付いた。

洗濯を1日せずに(まあ少なかったからなのだが)今朝は洗濯機を2回まわした。
「どこに干すねん? 外は雨模様やし・・・さて、こんな時、加代さんは・・・・」


●奥様は妖精 
「奥様は妖精」

私の妻は加代といいます。
我々はたぶん最も一般的な普通の夫婦だと思います。
加代さんは活動的で、興味が出れば何でも一度は手を付けます。
興味がなくても、出会いがあれば一応は自分で調べたり、時々は出向いて行く。
それも私の全く知らないうちに・・・・そして、あっと言う間に友達を数百人!・・・・数十人は作る。

一緒に生活していると、時々「加代さんは魔法使いではないか?」と思うことがあります。
その昔テレビドラマで「奥様は魔女」という番組がありましたが、魔女は怖い。妖精か魔法使い。
お客さんが突然来る!ということはありますわな・・。だいたいそんな時に限って、な〜んもない!
たぶん法則だと思うんです。○○な時に限ってナントカという。
急いでいる時に限って赤信号、電車出た後、玄関出たら、忘れ物思い出す。みたいな・・・・
加代さんはこういう時、魔法を使える女性なのです。
「あらあ、な〜んもないわ!」と言った5分後にはテーブルに一品、二品、三品・・・・と並んでいる。
結構早くに出かける時、「ちょっと待って!」と言いながら、
洗濯物干して、食事の後片付けして、テーブルの上、なんとなく整頓して、
私の服をチェックして、「ハンカチ持った?」「靴下ちぐはぐやないの」
「髪バサバサやん、ちょっと待って」超早業で男前にしてくれる。
ウ〜〜ム、やっぱり魔法を使ったに違いない!

魔法使いの妻を持つと、男は頼ってしまう。
ま、数々の魔法は話の進行で順次書くことにはなると思いますが、彼女の一番の魔法は、
私が演奏会の後、毎回落ち込む姿を見て・・・・
「良かったよ! ○○の中に出てくる、この部分は一瞬その世界に入った!
 太夫(たゆう)でもああは出来ないと思うは!」
「え! そうかあ・・解ったかい。  そうかあ、いやあ、嬉しいなあ〜。そうかいお前解ったかい。
 じゃあ今度稽古の時にでも、もう一度弾いてあげよう」
「え!? まあ、特に聞かなくても、下におったら十分聞こえるし・・・・・ま、そのお・・・・」

    この会話は落語「寝床」を知らないと、ちょっと分かりづらい。なんせ私たち夫婦の会話
    には古典落語の会話が頻繁に出てきますので。

こんな会話をしながら帰る。と、帰ってきたら敏雄君の落ち込みはすっかり解消されている。
これを魔法と言わずにおられよか、よいよい・・・・っと。
今、思い返すと、やっぱり「声」だと思う。
加代さんの「あの声」が私の落ち込んだ気持ちを包み込んでポイっと捨て去る。
おかげでまた元気が出る。
これって、一種の魔法でしょ?!


●紀子誕生 秘話 
「紀子誕生 秘話」

結婚して4年目・・・・やったと思う・・・・ぐらいに二人は「子ども欲しいな」
と思うになった。もちろん生まれた子供は、どんな状態であろうとも二人が受け入れられる!
という決心。ある事情で小学校卒業と同時に私は母とは一緒に住んでいなかったのですが、この頃から、庭を挟んで隣に母も一緒に住み始めました。加代さんと私の母は言葉を交わす機会があまりなかったのですが、ホンワカとしたムードが漂っていました。(母は大変無口で、私ですら、母がしゃべっているところを思い出せないぐらいです?それは元々の性質だったと思います)
ある時、母が私たちの部屋の炬燵に一人で座っていると、飼っていた犬が畳の上に上がって、母と一緒にこたつで気持ちよさそうに身体を預けていたらしい。(<らしい>というのは私が見たのではなく加代さんから聞いた話なので・・。)その姿が、あまりにも自然だった!と後年加代さんが楽しそうに話してくれました。小学校以来の母との生活がスタートした頃でした。
・・・・孫が出来たらさぞ喜ぶだろう!・・・・
親孝行とは無縁の私だったので、チャンス!と思ったものです。

そして、夫婦が、がんばったかいあって、昭和55年1月30日。長女紀子が誕生する訳ですが・・

お腹にいる紀子はスクスク育ち、もうすぐ産声をあげる。母になる加代さんは準備万端、すぐ近くの海星病院産婦人科に入院しました。
入院してカバンを開けると、一番上に置いたべっ甲の櫛が真っ二つに割れている!・・不吉な・・
その頃、母は別の病院に入院していました。経過は順調で加代が退院と同時ぐらいに母も退院予定でした。無口な母が同室の方に「もうすぐ初孫が生まれますねん」とぼそっと言ってるのを、少し誇らしげに聞いておりました。

昭和55年1月30日 元気な珠のような紀子が誕生しました! しかし、・・・・その時の医師(確か、狐塚先生とおっしゃった)が
・・・・この子は生まれない方がよかった・・・・と、ご丁寧に3回も繰り返したそうです。
もちろん、加代さんは赤ちゃんの顔を見ることが出来ません! すぐに、看護婦さんの
「元気で可愛い女の子ですよ!」
この声で、やっと自分の娘を見ました

紀子誕生の2日後、母の様態が急変し、あっという間に亡くなったのです。もちろん紀子の顔を見ることなく。その時、私は・・・・身代わりになった・・・・と感じました。
悪魔なのか、天使なのか、どちらかは知りませんが、母は契約をしたのだと感じました。
それが、あの時の医師の言葉です。これが私たちへのメッセージでした。
そして、この瞬間私たちは、紀子を育てるにあたって、ある決心をしたのです。


●理解不可能な決心 
「理解不可能な決心」

母の死は、私たちには紀子の誕生の喜びより余程ショックでした。
・・身代わり・・これは、何を意味するのか?
本来なら、紀子に、あるいは私たち夫婦に起こるべき「ナニカ」を背負って逝ったのだから、これを
「はい、そうですか!」と簡単に受けるだけでは済まされない。

母の死の直後から加代さんのお乳が出なくなった。
その時、私には「これが試練かも・・・・いや間違いない!」そう確信しました。
加代と二人で、お乳が出るまで、牛乳や練乳は使わない! そう決心してしまったのです。
出ない! といっても一滴も出ないのではない、たぶん命の維持限界の量は出る!
そう確信しての決断です。しかし、今、思い出すと・・・・・・
「なんで、あんなこと出来たんやろ?」です。
それから、ピッタリ3ケ月。突然、お乳が出るようになり、離乳食にかかると、
ピッタリお乳も止まり、紀子もその瞬間から乳離れ。
この3ケ月の加代さんの苦労は並大抵のことではなかったはず。
しかし、その愚痴を聞いたことがない。定期健診でも医者から、かなり説教をくらったようだが、
一般常識で判断されては困る。夫婦という形が整うための試練は、始まったばかり。
私がギターの世界、音楽の世界でも「常識」とされることを全て否定するようになったのは、このことがきっかけ。
人がいかにして生きていくかは、その人のスタイルがあって、それは外からは解らない。音楽だって同じ。
規則や基準を作り、それを押しつけると、提供する方は楽。それだけ!
本質はそこには存在しない。「子育て」に関して、私たち夫婦は、この一件から意見が食い違うことはなかった。
少なくても私の記憶にはない。
生まれてすぐに大きな試練を受けて、それを乗り越えた紀子は、もうなにがあっても大丈夫!
という気持ちが自然に湧いた。実際、紀子の成長過程で私たち夫婦が出会った「困ったこと」は何一つなかった。
そして、加代さんの本質に触れることが出来た敏雄君は、言葉に出来ない信頼感がしっかり根付いたのです。
つまり・・・・・・・・全面的に加代さんを頼ることになったのです。  
・・・・都合のエエ話や・・・・。

紀子が生きていく上で、他人から見れば、「大変やろなあ〜」と思うことも、
きっと自身は「あら?エライコッチャ!」ぐらいに受け止めて、流してしまう! 
そんな子ではないかなあ・・と親ばかで済ませてしまう私です。


●閑話休題 天狗裁き? 
「閑話休題  天狗裁き?」

お茶、お花、書道、そろばん、これらは加代さんの嫁入り前の習い事。
結婚後、全ての習い事が毎日の生活に活きております。

二人の朝は、まずお点前から始まります。
「御主人さま、おはようございます。茶を一服たてましてございます」
「さようか、くるしゅうない、こっちゃへ持ってきてくれ」
三つ指をついて、丁寧に挨拶が終わると・・
「本日は、お庭の泉水脇のアジサイが、ことのほか美しく咲いておりましたので、
床の間に移しましてございます」
「ウム!見事である!」
「それと、気分が湧きあがりましたので、書を一筆したためましてございます」
「おお!それは風流。してなんと?」
「<金>でございます」
「ナニ? かね?」
「請求金額は18万円でございます!」
「エエ〜〜〜〜〜ッ!!???」

・・・・・・・・なに、うなされているいるんやろ・・・ほっといたろかしら・・・・・
「ちょっと! トシオさん! ちょっとお!」
「・・・・んんん! ・・・・ああ!   ああ、びっくりした!」
「何か面白い夢でも見てたん? うなされてたけど・・・・」
「もうちょっとでカナシバリやった、フ〜〜、助かったあ!」

玄関にはちょっとした季節の花を飾り、レッスン室の隅には、それなりに目立つ花を置く。
やっと3歳過ぎた紀子と私と加代さんの3人でお茶(お点前ですよ)して遊ぶ。
書くこと・・(手紙、書類、etc.etc.) そして家計。
時々コープさんの計算ミスを指摘したりもする・・・。
そうそう、彼女の特技の一つに、「名前を覚える」という技があります。
紀子が小学校に入り、最初の参観日から帰って
「懇談会で自己紹介して、なんやかんや話していたら、名前全部覚えてしもた!」
「いつものことながら、スゴイ技やなあ・・・・ひょっとして、家族の名前も覚えたんと違うか?」
「そやねん。勝手に覚えてしまうねん・・そやけど、なんで家族構成までしゃべるん?」
私は生徒の名前でも覚えるには1ケ月かかる・・・・。
この特技は息子の浩二にも、娘の紀子にも受け継がれている。ヨカッタ、ヨカッタ。


●子育て開始
「子育て開始」

結婚するまで・・。結婚してから子供が出来るまで・・。まだまだエピソードはありますが、 
夫婦として成り立つためには「子育て」が一番の想い出になります。
書き残した話は、いづれ書くとして、紀子誕生から始めます。

前回書いたように、紀子はお乳の出ない母の乳首をくわえたまま2〜3時間は離そうとしません。
隙を見て離すと、全身で泣きます。その泣き声がなかなかに可愛い。泣き方も右手と左手を動かすのですが、
まるで肩を叩いているかのよう・・。声も静かに「ア〜〜、ア〜〜」だけ。きっと<体力温存泣き>だと思う。
私が抱っこすると、一応おとなしくなるので、しばらくは抱っこ。
そ〜〜っと布団に置くと同時に「ア〜〜!ア〜〜!」と<肩叩き体力温存泣き>が始まる。
抱っこして「の〜〜りちゃん、ねんねしましょ、おっぱいのんで、ねんねしましょ!」と歌いながら、
ごまかそうとしますが、布団に置くと同時に
「ア〜〜!ア〜〜!」が始まるので、加代さんのお乳が
少しでも貯まるまで抱っこ! 夫婦完全分担の初めての仕事かも知れない。
この時、抱っこだけでは私としては、まあ・・・暇なので、囲碁を覚えることにしました。
加代さんは、お餅を食べたり、牛乳を飲んだり、身体を休めるのが仕事なので、必死に寝たり・・。
加代さんには、一生の中で最も「しんどい」時期だったかも知れない。でも・・、笑顔が絶えない。
おっぱいに吸いついている紀子の顔を見て、ニコニコしながら何かを語りかけている。
私は、その瞬間に隣でスヤスヤ・・・。

極論かもしれないが <報酬を伴った仕事に男は強い> が <報酬を伴わない、しかし本当の仕事> は女性の方が、はるかに強い。
ま平たく言えば、敏雄君は「何か報酬(お金とは限りませんが・・)が見えている仕事には動くが、
 加代さんは報酬とは無関係に動く」ともいえる。
家事などその典型。子育てはその最上級の仕事。ましてや主人の手助けなど・・・・
魔法でも使えないとなかなか出来ることではありません。
報酬のある仕事をして「大変だ!」などと言うこと自体・・・・う〜〜ん、レベル低い!
こんな風に感じるのは自然の成り行き。
まあ、何事にも鈍い感性のなせる技。 こんな技はいらない。

自分の人間的レベルを少しづつ感じながら、加代さんの本質と接して、ますます頼りにしてしまう・・・・・
音楽用語では、これを<ノーテン・・・> ん?  知ってるって? あら?
しかし、本当のすごさは、もう少し先、14〜5年後に経験するのです。 


●日給15000円 
「日給1万5千円」

本来ならば、生まれて3ケ月までには相当の写真が撮られていてもよいはずですが、我が家では
そんな訳で、紀子の写真は寝返りをして首を持ち上げた時からスタートしています。
加代さんは、今まで撮れなかったこともあり、紀子が元気に可愛く成長を始めると、
積極的にカメラウーマンに変身します。持ち前の文章力と相まって、投稿した新聞で紀子が掲載されると・・・・
なんと3社から問い合わせがありました! え? なんの問い合わせかって?  いや〜〜・・・・
そんなこと書くと、なんか親ばかみたいでいややな〜〜。モデルになって欲しいと言われた。
なんて書かれへんわ。  
え? モデルになったん・・・・・って、なんで解ったん?
1つ目は、断ったんです。なんでかって? 超地元の関係だったので、加代さんが
「これはマズイと思うわ、こういうのは知らないところの方が良い」
解るような、解らないような、・・・・ま、加代さんが嫌がるなら、ということでお断りしました。
2つ目は、確か、熱出してて、行けなかった。 神戸大丸だったと記憶している。
で3つ目は大阪の近鉄百貨店赤ちゃんセールのモデル。これは行きました。 

私は、ただ一緒に出かけるだけですが、加代さんは、いろいろと心配しながら準備して、それでも期待
(どんな写真になるのか? どこに掲載されるのか?など)と不安(ほんまにホンマかいな!)が複雑に混じりながら・・。
私は、エア〜マネ〜の計算をしながら、どんな豪邸を建てようか?思案しながら三人で大阪の撮影現場に行きました。
それにしても、生後半年ぐらいで1日15000円を稼いだのは・・・・立派ぢゃ!
近鉄百貨店のポスターに載って、近鉄電車の吊り広告に1週間。親孝行をしてくれました。

その頃ぐらいから、加代さんはよく和服を着るようになりました。お乳がでかくないので和服が良く似合います。
和服を着る時はパンツを穿かないように! これが私の譲れぬ要求です。
せっかくの和服の美しさが、あのパンツラインが出ることで、台無しになるからです。
この点については夫婦で熱心に議論致しました?!?!?。
はじめの頃は穿いていたようですが、だんだん私の意見に従ってくれたようです。
薄い黄色がベースにもみじの模様だったような、違うような・・・・・
上品な着物を着て一緒に歩くと街ゆく人が・・・・・・・だ〜〜れも振り向くことはありませんでした。(そらそやろ)
私は、紀子を顔を前に向けて、お腹の前で両手をブランコみたいに抱っこして
(本当はしんどかったのですが)軽がると持っている!ように、堂々と歩き、
加代さんは和服でニコニコしながら3人で買い物(普段のコープに買い物ですよ)することが、よくありました。
こういう状態を、音楽用語では・・・・「両手に花」といいます。


●孫はご褒美 
「孫はご褒美」

ただ寝ているだけの赤ちゃん時代から、ハイハイ、つかまり立ち、ヨチヨチ歩き、・・・・
毎日が新鮮で飽きない人生。親になれば本来誰もが経験出来る「喜び」「驚き」「発見」「感動」の連続。
私たち夫婦は、この時期、自分たちの個人的趣味や仕事などは出来るだけせず、子育てに時間を使った。
(ワタシは囲碁をしてましたが・・)そして、一つだけあるルールを作った。それは・・・・

子供を叱る時は?どんな時?  ・・・子供が悪いことをした時?  
そんなアホな、子供に良い悪いなんか解るか? それは大人の都合ちゃいますか!?
怒ったり、注意するのは、どんな場合でも大人の都合です。
それでも、時には叱ったり、注意はしていくことになるでしょう・・。
私たちは、これから家族で暮していく上で、紀子にどんな形で注意したり、時には叱るか? 
この時の約束事を決めることにしました。
「アジャラカ、モクレン、エベレスト、テケレッツノ、パ〜!」
この意味のない言葉(落語の死神という話に出てくる、呪文です)を使うことにしました。
アジャラカは、「紀子、それは父(母)は嫌いだよ」という意味。
モクレンは、「紀子、そらアカンで、やめとき!」という意味。
注意するべき内容を5段階に分けて、自分(父又は母が)どの程度好ましくないと思っているか!
それを、口調だけで、意味はいっさい説明せずに上記の呪文を使ったのです。
 (結果はモクレンまでしか使わなかった! なぜか、ア・ジャ・ラ・カ・と言うだけで、伝わった!)
子供を叱ったり、ケンカしている姿は横から聞いていると、周りの者までも不快にさせる。
だから、親の気持ちを子供に伝えればいい訳です。
怒っている人の顔は醜く、声は最悪。口調は聞くに堪えない。
それより、「ア・ジャ・ラ・カ」これだけで全てが伝わるのだから、・・・・お勧めです。

こんな私の性格というか、生き方を加代さんは、いとも簡単に受け入れてくれる。
考えてみると、逆に、私が加代さんの生き方や信条を受け入れたことは・・・・たぶん、ない!
しぶしぶ動いた!これが本当の姿だ。
言葉上だけで「はいはい、わかりましたよ。やりますよ!」  などは、明らかに否定している。

夫婦が子育てを終了して、しばらくすると、この時期を、ふと思い出す時がある。
「もし、妖精が出てきて、1つだけなんでも望みを叶えてくれる! と言うたら・・
加代さんならは何を願う?」
「・・・・そら、・・・・敏雄さんと同じや!」
「あら?! 解るか、やっぱり」
「紀子や浩二が3歳から5歳の頃に戻って、もう一度見てみたいわなあ・・・」

世の多くの親が望む願い事ではないでしょうか?、
今、私たち夫婦はその願いを見事に叶えさせてもらっています。
報酬のない仕事のご褒美でしょうかね・・・・。
孫の時々見せる顔の表情、言い方、ちょっとした仕草。
「紀子そのままやなあ〜〜!」
二人で同時に発する。
「しかし、ほんまに紀子は、こんなに可愛かったか?」
これも、どちらからともなく出る・・・・・・・スマン紀子。


●春野寿美礼 
「春野寿美礼」

2014年のお正月だったと記憶している。加代さんと紀子が宝塚観劇に行く予定だったが、紀子が
体調を崩して行けなくなった。そこで私が行くことになったのだが、これがきっかけで、夫婦・・・・ま、加代さんはすでにハマっていましたが・・・・でよく出かけました。
加代さんが、どういうきっかけで宝塚に行くようになったのかは、私は知らないのですが、
私のイメージとしては・・・・あの化粧して、同じような姿、形で、女の集団で、歌とも言えないような・・・・
ま、早い話が「とても受け入れられない」集団であった訳です。
加代さんと一緒だから行ってみる・・・・それだけ。
生涯に一度ぐらいは経験してもいいかな・・・・という軽いノリで見に行きました。それが・・・・

二階の中央よりやや左の席。双眼鏡を片手に加代さんは、やや興奮気味で席に座る。
私はなんとなく異様な雰囲気を感じながら、学芸会を見る気分で加代さんの左に座る。
「なんじゃあ〜!」
「し〜〜〜!  どないしたん?」
聞こえないぐらいの小さな声で聞き返す。
「この世の者か?」
「おささんか?(春野寿美礼の愛称)」
ま、観劇中は話せないので、会話はここまでですが、容姿は言うに及ばず、その歌声、歌唱力は、
私の知っているどの歌手も及ばない。しかも女性なのに男性を演じている。というより、こんな美しい男性はいない!

観劇が終わり、やや脈拍が早くなった私が帰ろうとすると、
「出待ちするから、あんた先に帰る?」
「デマチ? ♪デ〜マ〜チ食べ食べ〜♪」
「それは♪ち〜ま〜き〜食べ食べ♪でしょ。違う! 出待ち。おささんが出てくるのを待つの」
「え?ということは、近くで素を見るのか?」
「そう。それも、いろいろルールがあるねん」
「何と! これも経験や一緒に見ましょ」

ステージのおささん(春野寿美礼)は、私の記憶には存在しない<美しい女おとこ>。 
双眼鏡の中に現れた彼女は「美」そのもの! 美しいという言葉を顔にしたら<ああなる>。
こんなことなら、もっと早くに観劇するべきだった。
もし、紀子が元気なら、私はきっと永久に彼女を知ることはなかっただろう。
紀子の病気も、私に関係があった。・・・・・・ん??・・・・・
そう、どうやら加代さんの周りで起こる全てのことは、私と直結している!  
そんな直観が働いた。そして、それは現実のこととして、これから私に次々と襲ってくる!
襲ってくる!と書くと、なにか不気味だが、現実は私が追い求めるギター音楽の上で、
かけがえのない経験をすることになるのです。
この時までにきたメッセージは2つ<カザルス><セゴヴィア>の具体的な人から。
この後は人ではなく<自然>あるいは<ソル><バッハ><ポンセ><タルレガ>
つまり、作曲家自身から直接メッセージが届くのです!!
後にまた書きますが、上高地での「旋律は道」。岡山の閉谷(しずたに)学校での「もういいい」
さらに具体的な内容「7と10」「アイを使え」「同時」「4は平和、3は?」などなど・・・・
これらは虹人物語の中で詳しく書いています。興味あれば、そちらを読んでください。
最終タッチ(弾き方)「揺らぎ」は2012年12月12日に来た。
そして、これ以後はレッスンの度に来るようになる!   
レッスンでは自分の口が勝手にしゃべることがしょっちゅうあります。
しゃべりながら私も一緒に聞いている?! なんという面白い経験!
そして、この現象は、全て加代さんの存在が絡んでいる。
そのことに気が付いたのは60歳になったお正月。部屋の中いっぱいに大きな白蛇がいる!
その白いヘビにぐるぐると巻かれる・・・・怖くない、
怖くないどころか気持ち良い。さらに、その隣には大きな虎もいる。
座ってこちらを向いているが、これとて怖くない。優しく私を見ている。
私と加代を守っている<神>の化身?? 夢ではあるが、現実より余程現実味がある。
その年から、私のギター人生に大きな変化が表れ始めた。それと並行して加代さんの身体にも変化が・・・・
ただし、こちらの方は身体が癌に侵され始める・・・・。
何かを成し遂げる!というのも「身代わり」が必要なのか?!
この時点では、全く気が付いてはいなかった・・。
ただ、二人で宝塚に・・・・
というより春野寿美礼さんを見に、聞きに・・・・よく通った。
音楽の話しもよくした。良い音楽の話題は二人にとっては最高の御馳走だった。
「おささんの話しには、あんたの言うことと同じ内容がよく出てくる」
「そらそやろ、同じ方向、向いてるからなあ」
「歌うのではなく、語るんです!ってしょっちゅう言っている」
「そうそう<歌う>というのは自己表現なんや。<語る>のは紹介するのに似ている」
「なるほどなあ・・。そやけど、なんでこんなことが一般には解らへんのやろ?」
「そういうもんやろなあ・・。俺だって長いこと気が付かんかった。
 アメリアの遺言で加代が助言してくれた時、やっと解ったぐらいや」
「あれは、良かったなあ! 何言うたか忘れたけど・・・・曲に引き込まれたもんなあ・・」
「語ったからや、たどたどしく、弱々しく語ったから伝わった。あんたのおかげや」
「役に立てて嬉しいわ」
「あんたの知らんとこで、いっぱい役に立ってもらってるで」
「そら、なによりや。で、明後日やけど・・・・・わりと良い席が空いてたんよ!」
同じ演目を何回見ても飽きない。飽きないどころか、見終わったら、すぐに又見たくなる。
「何回でも見に行ったらええがな! ん、その日なら俺も行けるで!」


●アメリアの遺言 
「アメリアの遺言」

この曲にはハーモニックスという特殊奏法が出てくる。
特殊奏法というのは、気を付けないと、それが出せるようになると<これで解決>と思ってしまうことだ。
ま、さすがに私がこの罠にはまることはないが、それでも・・・・間違わないように美しいハーモニックスを出そう!・・・・ぐらいは思う。
もちろん、これが次なる罠。
ある日、この曲の練習をしていると・・
「そのハーモニックス、綺麗やね!」
「鐘の音や」
「鐘なら、丘の上でウトウトしながら聞きたいなあ〜」
「丘の上・・・・ウトウト・・・・なるほど・・」
その時、私が思い付いた弾き方は、初めてハーモニックスを出す人の心境になる!だった。
つまり、わざと間違ったフレットの上に指を持っていき、弾きそうになって気が付く! あわてて正しい位置に用意しなおしてから尚注意して弾く! という、とてもめんどくさい方法。
わざと違う場所に用意して、「あ、違う!」と心でちゃんと言ってから、正しい位置に持っていく!
こんな弾き方はギター界に存在しない。しないが、加代さんの助言には、これしか方法が浮かばなかった。というより「浮かんだ!」
そして、その結果、加代さんは、少し涙ぐんで
「エエなあ!」
たった一言!
書けば、一言。しかし、その口調は一緒に暮らしている私にだけ解る「心の声」
生徒から言われても聞き流す言葉。他の誰が言っても、その嬉しさは加代さんには遠く及ばない。
コンサートが近づくと、必ずそのプログラムを聞いてもらう。普段なら、大抵はすぐに寝る!
これも加代さんならでは。生徒さんでは、まさか先生が弾いているのに「寝る」はない。
「ええんちゃう。・・・・曲はそれでエエと思う」
「というと・・・・」
「順番なんやけど、ソルの小品をプログラムの中心に持ってきたらアカンかなあ?」
「なんと! その手があったか!」
これだけの会話で加代が何を言いたいか解るし、加代さんもこれで通じると解っている。
「ソルの小品はコンサートで聞くと、そのすごさが伝わってくる」
「確かに。ステージで弾くと全く違う顔を見せる」
「大曲は弾き手の都合。小品こそ聞き手は楽しめる、と私は思う!」
「ごもっとも。それこそ俺がやる仕事やろなあ・・フムフム」
「さっきのアメリアやけど、あんな風に弾けるんやなあ。
一つの音を味わって聞いてから次の音が出てくる。一音一音が聞きたい時に入って来るのは気持ちエエよ!」
「インテンポちゅう意味らしい。一番気持ち良いテンポのことや。やっと弾けた、ありがとう」


●上高地
「上高地」

「来週・・・・上高地に行かへん?」
「そやな、行こか?」
「二泊三日でどう?」
「にはく・・・・・ん?泊るん?」
「そらそやろ!上高地やからなあ・・」
「かみ・・・・どこ?」
「上高地! 知らんか?」
「琵琶湖の近くやろ?」
「あんた、ほんまに日本人か?」
「・・・・・・・ひょっとして、長野県西部の飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地である。
 中部山岳国立公園の一部ともなっており、国の文化財に指定されている。あの上高地か?」
「なに読んでるん?」
「二泊とは豪勢やなあ! 大丈夫か?」
「ま、なんとかなるよ。行く?」
「そら加代さんとやったら、どこへでも行くよ。・・・・新婚旅行みたいやなあ!」
「そやなあ、二人だけで泊りがけは初めてちゃうか?」
「なんでまた?」
「この前紀子とツア〜で行ったんよ。それがせせこましいねん。ああいうところはやっぱり個人で行かな!」
「ほな、任せる!」
まあ、任せるもなにもない。ちょっとそこまで出かけるにも、全て加代さん任せ。
 二泊三日ともなれば・・・・ん?!ヤバイ! 山歩きがこのツア〜には組み込まれているのでは・・??・・
「あのさあ・・、向こうで歩く?」
「そら歩くやろ。上高地やで!」
「普通の運動靴でエエか?」
「大丈夫や。ほんの4〜50キロやから・・・・」
加代は時々恐ろしいジョークを飛ばす。新婚旅行の時も・・・・・

    なんと岡山の国民宿舎に泊ったのだ、新婚旅行なのに! で、宿舎に着くと、屋外に、
    いかにもという顔をした共同洗い場がある。そこを指して、
    「ここで朝顔洗うねんよ!」とニコニコしながら言う。
    冬の一番寒い時期だっただけに「ホンマか! 根性要るなあ!」
    「アハハハ・・・・」とご機嫌!もちろんウソだったのですが、
    私はすっかり本気モードで、
    翌朝の自分たちの姿を想像していました。

上高地の山歩きは5〜6時間! 普段歩いていない私にはそれなりにキツイ。 
キツイが加代さんと一緒なら大丈夫!だろう! かも・・・・かな? 少しの不安を隠すことなく、いざ出発!

有名な河童橋でお互いに記念写真。そこから梓川に沿って、二人でゆっくりと歩いていると
「・・・・旋律は道なり!・・・・」
突然、頭の中で声がする。  辺りを見回す。
「今、何か言ったか?」
「別に、なにも・・・・」
ちゅうことは、私にだけ聞こえた! ハッキリと聞こえた。そして次の瞬間 
パーセルのメヌエットが頭の中で流れる。そして、もう一度「・・・・旋律は道なり!・・・・」
そうか! これを聞くために上高地に来たのか! やっぱり加代さんの働きやなあ。
今回の旅の目的は果たされた。 
ちゅうことは、後は・・・・・・全面的に加代さんの後ろを付いて行く!

   ・・・・・・「この時のホテルの食事はおいしかったなあ!」
   「そうそう、贅沢なものではなく、その土地、季節の物で、よかったなあ!」
   「旅では食事が大事な要素や」「食事がまずいと、台無しやなあ・・・・あの鳥取はまずかったなあ・・・・」
   「家族が一瞬固まったもんなあ・・・・」    「大山も美味しかった。大山と上高地が印象に残っている」
   「あと、北海道のウニも・・」・・・・・・

ここで、加代さん物語、少し脱線して、しばらく家族旅行、夫婦旅行の話題を思い出してみます。
私の場合、どこへ行ったか、どんな景色だったか、何を食べたか、などはほとんど記憶にない!
そこでどんなインスピレーションを受けたか、家族とどんな雰囲気だったか、
・・・・つまるところ、なんとも情けない記憶しかないのです。


●大山 レイクホテル 
「大山 レイクホテル」

あれは、いつやったか・・・・すっかり忘れてしまいましたが、バスで鳥取県の大山に二泊三日で
行きました。
季節外れの冬(どんなんや?)で、シーズンオフ。お客さんも少なく、音を出しても大丈夫だろうと思ってギターを持って行きました。
ホテルの前にプライベートの池があり、そこで、なんと日がな一日ギターを弾いておったのです。
お客さんは加代さんだけ。他にはな〜〜〜んもなく、ゆっくり歩くと、一周20分ぐらいの池の周りを散歩しながら私のギターを聞くという贅沢!!  
で、お料理ですが、心に残る美味しさでした。 何を食べたか、というと、え〜〜っと、あれは・・・・確か・・・・・、ま、いいか。
今回も加代さんの思い付きで実現しました。  
私は一緒にバスに乗って移動するのは楽しい!
という小学生となんら変わらない発想で加代さんに付いて行く。いつものパターン。
バスで移動中に外の景色を見ながらいろいろ解説してくれる。 
雑学博士の加代さんの言葉は、私の耳を涼風のように左から右に吹き抜ける。 
言ってる本人もきっと伝えよう!とは思ってないはず、それでも時々は
「聞いてる?」と鋭い言葉が突風のように吹くことがある。
「あたりまえやがな。一言一句聞き洩らしてないで」
「東の富士山、西の・・・・何でしょう?」
「六甲山!  違うか?  ああ!  大山!」
しばらく顔を見合わせて、納得したのか、また話しを続ける。
大きな屏風のような岩の山が見えてくると、解説に一段と熱がはいる。
それもそのはず、自分が登ったことのある山なので、解説は細部に渡る。
話しはまだまだ続くのに、バスはスイスイ走って、やがて目的地に到着。
ホテルから迎えのバスが来る。乗り込むのは私たち夫婦だけ。
運転手さんが解説してくれる。加代さんは解っていると見えて、うなずいたり、質問したり、外を見て私に説明してくれる。
「ふんふん、なるほど」と口では答えているが「声」を聞いているだけ。
こういう時の加代さんは私の中では恋愛中の加代さんになる。
ホテルに着くと、事務手続きは全て加代さん任せ。実は、この時に初めて
・・・・「あ〜、旅に出たんや」・・・・と気付くのが私。そこで、気持ちを切り替える作業にとりかかる。
・・・・・・心の声・・・・・・家やない! 少しはよそいきの態度で、旅慣れた!という雰囲気で、・・・・・・
周りの景色を見るふりをしながら、余計なことに時間を使う。 
やがて、部屋に入って、やっと心の準備完了となる。・・・・・・ふ〜〜、世話のかかるやっちゃ!・・・・・・

部屋で一休みしてギターを取り出そうとすると、
「庭に出てみよか?」
「そやな」
ここからの行動は、母と子供。絶えず加代さんの後ろから付いて歩く。これは楽チンなのだ。

しばらくホテルの近くを散策して一旦部屋に戻る。
「だ〜れも、おらんなあ!」
「いくら季節はずれといってもねえ・・」
「これなら、ギター弾き放題やな」
「早速弾いてみるか?」
「前の池を使って実験したいことがあるのや、付き合ってくれるか?」
「エエよ。池の周りを歩きながら、聞くんやろ?」
「その通り、流れ石!」

なにも説明しなくても、私のやりたいことぐらいお見通しの加代さん。
池から10メートルぐらい離れた場所にあるベンチに座ってギターを弾く私から、徐々に離れて行きながら、時々振り返り、
大きな○を作ってはまた歩く。こうして、一周20分ぐらいの池の周りを歩いて帰ると、詳細に音の報告をしてくれる。
まるでもう一人の自分が聞いたような内容のレポート!

自然の中での音の伝わり方が改めて理解出来た。このことは、これからのギター人生の方向付けに自信が出る!
反響がある部屋で弾くのが普通の環境にある今の社会。やっぱりおかしい。
音楽は野外で聞くのが本来の姿だ。
「15メートルぐらい離れると、突然ホール・トーンがするよ! 
それにあの一番遠い場所(7〜80メートルぐらい)でも音色の変化もちゃんと聞こえるよ、
アストリアスの中間部分で、こんなことしたでしょう?」
「あちゃあ! そこまで聞こえてるんか!」
「びっくりするわ」
自然の中で、鳥の声が美しく響くのは当たり前だったのだ。 ギターだって聞こえる。 
いつかは、こういう自然の中でコンサートをしてみたい・・。 

例によって私の目的は早々と達成された。さて、ここからは加代さんに付いて山歩きに食事。
私にとっての旅は、加代さんと二人でゆっくり過ごすという贅沢を満喫すること。


●「鳥取 家族旅」
「鳥取 家族旅行」

浩二は大学生。紀子は東京の都ホテル勤務。家族で鳥取砂丘に行こう!  
と決まった。決まったら即行動。これが加代流。宿はどうする?普段なら全てを決めてから出発するのだが・・・・・
この時は、まあ、宿ぐらいなんとかなるやろ・・鳥取なんやから・・。

では! と朝から弁当を作ることに、せっせ、せっせとおにぎりを作る。
紀子も浩二も突然のことに・・・・・驚かない! 
わあわあ言いながらバスに乗る。結構長い時間バスに乗る。家族一緒だと飽きることがない。
お昼過ぎに鳥取に着いた。 ん? 人がいない・・・。 あれ? ここ、鳥取駅やなあ?
間違いない! それにしても、駅の周りに人影がない・・。 なんでや?  腹減ったなあ。
弁当にするか?  ええ! ここ駅前やで。 まさか人が通る駅前で、弁当・・・・
家族で輪になって・・・・ええ! ここで食べるん?  恥ずかしいやん!  
ほな浩二は見とき! なんでやねん。
駅前の広場で家族揃って輪になって、弁当を食べる。文句言ってた浩二が、パクパク食べる、食べる・・・。
さて、腹も膨れたし、どこ行く?  なんせ計画なしの、行き当たりばったりの旅。
歩くか?  そんなアホな。 ほな、バス乗ろか? どこに行くん?  知らん。 
乗ったらどこかに行くやろ。 ええ? 鳥取言うたら、砂丘しかないんちゃうん。 どのバスも砂丘行きか?
まあまあ、任せとき!  母の一言で全員
「ハイ!」

着いたのは、あの有名な「浦留海岸」  ま、加代さん以外は誰も知りませんでしたが・・。
場所はどこでもよかった。家族が一緒ならどこも同じ。
さて、歩き出して小一時間ほどして、「あれ? ない・・」
「なにが?」
「携帯」
「あら・・、エライコッチャ」
「ないないない、どこにもない」
「どこかで落としたのかも」
「しゃあない戻ろ」
「行きはよいよい、帰りは携帯探し〜・・」
今歩いてきた道を、景色を見ながらではなく、紀子の携帯を探しながら歩く。
わあわあ言いながら歩く。とても真剣に探している風には見えない。そして小一時間かけて元の出発点に戻る。
「ないなあ・・・・」
「ひょっとして、ひょっとするんちゃうか?」
「そやなあ・・・・ひょっとしてるかも知れんなあ」
「ほな、電話してみよか?」
神戸から乗ったバス会社に電話する。
「もしもし、ひょっとして、バスに携帯忘れていませんか? え! あります!!」
「バスに忘れとったわ、アハハハハ・・・・」
「ちょうど日も暮れてきた、帰ろか?」
バス停までは5分程の距離、真っすぐに向かえばいいのに家族だと、どうしても途中遊んでしまう。
公園でもないのに、何故か遊具がある。罠とも知らずついつい遊ぶ、それも数分だけ。
そして、始発駅のバス停に到着。時刻表を見ると。
「今出たとこや!」
「次のは?」
「1時間後や」
「しかし、な〜〜〜〜んもないところやなあ・・」
ところで、我が家は、こんな時、誰ひとり文句を言わない。
言わないどころか、この状況を楽しむ方向付けをする。
私は、その頃、これが普通の家族の在り方だと思っていたが、どうやら少し違っていた。
思い出していると、どんな状況でも、加代さんはニコニコしている。
家族を育てているのは加代さん。
子供たち、といってもすでに大人だが、家族で一緒にいると、それだけで楽しい雰囲気になる。
この当たり前の環境を作った加代さん。
この後、鳥取までバスで帰ればいいのに、わざわざ夜の砂丘を見に行く。それから、なぜか駅に向かって1時間程歩く。
「あ〜〜しんど、バスに乗ろ!」
「そやな、乗ろ」
意見が一致したところで、いざバスに乗ってみると、ほんの3つ〜4つで到着する。
夜は駅周辺の居酒屋で食事して、駅の近くにあるホテルに入る。適当!
そして、運命の日がやって来る。といっても、それは我々家族にとってではなく、市内を走るバスの運転手にとってである?!?!

鳥取のバスは走行中にバスの中で移動してはならない! らしい。 
バス停から発車する度に運転手さん自らが車内アナウンスをする。
それも地元の人向けではない。明らかに観光客向けのアナウンスだ。
そして、その日乗車していたのは島崎一家だけ。
よくもあれだけ毎度毎度同じことを繰り返せるものだと感心する。
「何度も言いますが、決して運転中はバス車内の移動はなさらないでください!」
ふと見ると、いつのまにか客は島崎ファミリーだけ! 
それでも運転手は決して休むことなく、発車する度にアナウンスは忘れない。
私と紀子、浩二は一番後ろの席に座り、加代さんは運転手さんのすぐ後ろの席。
この席だと運転手さんに話しかけやすい位置だ。
終点の2つ手前の駅を出発。律義に
「何度もお願いいたしますが、走行中の移動は大変危険ですので、決してなさらないように・・・・」
と、紀子が正々堂々と立ち上がる。一番後ろから、悠然と一番前に向かって歩き出す!
私と浩二は顔を見合わせる。
「いや、だから、ず〜っと言うてるやん!」
「移動しないでくださいって」
「この結末はどうなるん?」
「いままで注意してきたのはなんやったん?!」
当の紀子は、その運転手の真横に立ち、母に
「まだ?」
「次や」
そして、ご丁寧に、また後ろの席に向かって歩きだし
「次やて」
とニコニコ顔で言う。
「いや、だ・か・ら・走行中は移動なさらないように・・・・・って」
「何回言うた!」
下車する時、紀子は堂々と、そして、なぜか私と浩二は運転手さんにペコペコしながら降りました。「浩二、あの運転手さん、病気にならへんやろか?」
「アカンやろ、今日は。寝込むんちゃうか!」


●閑谷学校にて
「閑谷学校」

「もういい!」
これが閑谷学校(しずたに)でのメッセージ。
ん?! 何が「もういい」のか??。
落語「茶の湯」なら、「もういい!」は私たち夫婦にはよく分かるギャグ!
だが、閑谷学校の前にある山の木が、風で揺れている。大きく波打っている。
と、突然、身体が動かなくなり、じっと山を見つめざるを得ない状態がしばらく続いた。そして、
「もういい!」という声。
それから、加代さんと一緒に行ったコンサートが一瞬で甦る。
初めて行ったのは、ヘルマン・プライの「冬の旅」
会場の大阪フェスティバル・ホールに開演より2〜3時間早く着いてしまう。
すると、ちょうどそこにプライと伴奏者が到着して、ドアを開けようとしているところだったこと。レニングラード・フィルとムラビンスキーでショスタコービッチを聞いた時、
2階の一番後ろに副指揮者が聞きにきていたこと。
松田晃演さんのコンサートで別世界に連れていかれたこと。
デ・ラローチャのピアノ。そして、毎度のことながらセゴヴィアのメッセージなどが、一瞬で甦る。・・・・・・もういい・・・・・
過去から学ぶ・・・・偉大な人から学ぶ・・・・人から学ぶ・・・・
これら自分の外から学ぶのは「もういい」のか?
?  ・・・・・・・・・  ?    
 自分の中?   
この時点では、まだ謎だった。  
「解らない」は間違いではない。 解らないという箱に大事にしまっておけばいい。
横にいた加代さんに「もういい」んだって。
「何が?」
「さて、なにがなにやら・・・・勉強はもういい・・のかも?」
「行動やね」 
「実践かな」 
「コンサート?」 
「かも知れん、布教かも知れん」
「次に進め!ちゅうことやね?」 
「それやな! 結局は一つ所でグルグル回っているだけかも・・」
「ええ音楽してると思うよ」 
「一番の理解者が傍におるのは幸せやな」
「閑谷学校来て良かったか?」  
「うん!」
「お腹減ったから、なんか食べよか?」  
「素晴らしい考えや!」

加代さんは閑谷学校が好きで一人で行ったり、山歩きの友達と行ったり。
私と行ったり、少し後に、息子の運転する車で3人で行ったりもした。
好きな場所というのは、きっと何か深い理由があるに違いない。その理由は知らなくていい。
もう一度、行きたい! という気持ちが大切だと思う。
それは音楽も同じ。もう一度聞きたい!
そういう音楽を提供したい。 そして、それは自分を少し深く感じるところから始める。
60歳に気が付くのだが、この時点では「謎の言葉」として大事にしまっておいた。
「もういい!」 


●閑話休題 
「閑話休題」

「けろけろけろっぴ」という名の弁当箱がある。 いかにも安物っぽい蛙のキャラクターが描いてある弁当箱。
これは、子供たちが使っていたものではない、と思う。
二人で出掛ける時は、たいていこの弁当箱におにぎりを入れて持っていく。

台所の食器棚を片付けてみようと一番上の棚を見ると、けろけろ弁当箱が真っ先に目に入った。
それから、小さな入れ物、格調高い二段になった弁当箱、タオル入れ、水筒、・・・・
たぶんこの棚は外出時の時に使う小物を置いてあるのだろう。
「ここにマトメて置いてあるのか!」
40年目に初めて知った。
それから、改めて「けろけろ弁当箱」を見る。
今まで気にも留めなかったおもちゃみたいな弁当箱がひどく懐かしい物のように思える。
私や紀子、浩二には、見る度におにぎりが入ってる「箱」
・・・・さてっと、おにぎり作るか! と、その前に「けろけろ弁当箱」を取り出して
この箱にピッタリ収まる大きさのおにぎりを自然に作ってしまう。
加代さんの作るおにぎりの大きさの秘密を暴いた!。・・・・

ハートの形をしたタオル入れ。
これも必ず一緒に持っていた。おにぎりを手で食べたいから、手拭きは欠かせない。
よく見ると、結構汚れが目立つ。余程長い間使ったのだろう。
そういえば、・・・・新婚旅行の時にも見たような気がする。・・・・

1つ下の棚には、エプロンが4着たたんでしまってある。わざわざ取り出して広げてみる。
随分と汚れてきちゃないのが1着ある。
「捨てればいいものを・・・・」
汚れたから捨てる、という発想ではないようだ。私はエプロンをして料理をした記憶がない。
そういう了見では解らない! きっとエプロンの後ろにエプロンの神を感じ取っているのだろう。
あるいは、このエプロンになにか秘密があるのかも・・・・。魔法のエプロン?・・・・
試しに、「妖精エプロンさん、わたしのお願いをきいてください」・・・・って、言う訳ないでしょ。
そういえば、子供が大きくなってからは、あまりエプロン姿は見なくなった。
お正月の2日ぐらい前から、とか大勢で食事する前とか。お客さんが来る前には必ずしていた。
ということは、家の料理ぐらいではわざわざエプロンをしなくても、服を汚さないレベルになった?!。
それとも・・・・単に私が気が付かなかっただけ・・・・

4着あるエプロンの中で1つだけ見覚えのあるエプロンがあった。
そのエプロンを広げると、エプロンの向こうに加代さんが見えた! 
「ふ・ふ・ふ、み〜た〜な〜〜〜」 
<>2015/11/07 10:32<>zaq3d2e6c5c.zaq.ne.jp<>b.ugWUk0r0KH6<><>1<><><><> ●金毘羅参りと金丸座 
「金毘羅参りと金丸座」

青春切符を使って、紀子&夫婦で金毘羅参り。
1300段以上ある階段で有名な金毘羅山。ま、山歩きは得意の島崎家の人々。途中4〜5回も休めば楽勝! ・・・・・・ 
頂上に着くと、神さんのオンパレード。ありとあらゆる神さんが祭ってある。
というか、お札がある。 紀子が隅から隅まで、真剣な眼差しで何かを探している。やがて、
「おらん!」
「ん? どないしたん?」
「これだけようさんの神さんがおるのに、肝心の神さんがおらんやないか!」
語調からすると、ややご立腹の様子。
「ホンマや、おらん! けしからん!」
「そやろ。こんなしんどい思いして来たのに・・・・」
「そやそや。けしからん!」
「ホンマに!!おってもらわんと困る!」
「・・・・ で? 何神さん?」
「便秘の神さんがおらん!」
「・・・・・・そら、困ったことや・・・・」
「えらい人気出ると思うで。便秘の神さん」
「うむうむ、しかしや、便秘の神さんがおったとして、効き目がなかった時のお礼参りが、恐ろしい」
「考えただけでも恐ろしい!」
「あのなあ、便秘の薬にヨ〜デルちゅうのがあるらしい」
「あははは、・・・・効きそうな名前やなあ」
「ベンデールにしたら、もっと効きそうやで」
「そこまでいったら誰も買わへん」
気が付くと、母は他人の顔して、やや離れたところで空を見上げている。
空模様が、なんとなく怪しい。次は歌舞伎小屋の金丸座に行く予定。
私はな〜んも知らずに後から付いて行くだけ。加代さんは、今回のメイン見物にしている、らしい。

あの坂道を曲がると金丸座! というところで雨が降ってきた。それも土砂降り!
雨に濡れて飛び込んだのが良かったのか、係のおじさんが親切にいろいろ説明してくれる。
舞台にも立たせてくれるし、舞台裏、奈落の底、客席、からくり、とにかく全てを体験させてくれる! 加代さんも紀子も大喜び。私は、・・・・へ〜〜!と軽い。
「かぶく」とは少々大げさに表現すること、と理解している。日本が世界に誇る芸「歌舞伎」
私の知らない世界。自分があるレベルに行ったら、他の世界も簡単に理解出来る、と信じている。
係のおじさんは聞き上手の加代さんに、若くて可愛い紀子を相手に、実に丁寧な解説を披露。
私までついつられて聞いてしまった。
と、雨も上がり、次なる観光客が入って来る。 来る時に曲がった道の反対側に見晴らしの良い、しかも、しゃれた屋根付きの休憩所みたいな場所に出る。
「おお! ここは絶景やなあ!」
「確かに。  さぞかし名のある場所ちゃうか?」
「な〜〜んも書いてないよ」
「まるで、我々の為に設えてくれた・・・・みたいな所やなあ・・」
「ひょっとして、・・・・・」
「しまった! 弁当持ってない」
「ここで、なんにも食べないのは、残念やなあ〜」
「団子でも買いに行くか?」
「めんどうや、絶景を楽しも」
「風流やなあ・・」

「腹減ったなあ・・」
「行こか?」
「おお! ここは絶景やなあ!」
「確かに、 さぞ名のある場所ちゃうか?」
「なにも書いたものがないよ」
「まるで、我々の為に作ってくれた、みたいやなあ・・」
「ひょっとして・・・」
「しまった! 弁当忘れた」
「ここで、なあにも食べないのは、ちと残念ぢゃ」
「団子でも買いに行こか?」
「いやいや、絶景を楽しむべきや」
「風流やなあ・・」
「腹減ったなあ・・」
「行こか?」

「おお! ここは絶・・・・」
・・・・「ええ加減にしなさい。ここで吉本始めなさんな。はい団子!!」
一同「ええ〜〜〜!!」
全て御見通しの加代さんは、神様です。


●浩二と敏雄と加代さんで北海道旅行
「浩二;加代;敏雄の北海道旅行」

前回、浩二は大学生で参加しなかったので、今回はその前、
ちょうど浩二の高校受験前にさかのぼって三人で北海道に二泊三日の飛行機旅行を報告します。
我が家の旅行は、いつも少し時季外れ。北海道も<雪まつり>がちょうど終わった頃、
それゆえに安い。しかもホテルは二人部屋。簡易ベッドを部屋に持ち込んでの宿泊!
それでも私はメチャンコ楽しい。浩二もそれなりに楽しんでいる。
加代さんは作戦本部長ですから四人部屋を二人部屋で済ませたことに<しめしめ・・・・浩二をだますことなどたわいないわい!>
ところで、この時期、紀子はカナダに一人旅! 行く直前に
「あのさあ・・」
「なに?」
「ちょと、旅行に行っていい?」
「ええよ、どこ行くん?」
「カナダ」
「ふ〜〜ん、ええよ。行っといで」
これだけ! なんせ加代さんの娘ぢゃきに! 旅行はお手のもの。 
「一人で行くん? 旅費は?」
「そやで、旅費は稼いだから大丈夫やで。」

つまり、この時、娘はカナダへ、残留組は北海道へ。家族全員が旅行に行った訳です。
さて、札幌に着いて一応は観光をしたのですが、印象が全くない! 時計台? しょうもな!
どこにでもある都会の風景。 遠くの山にジャンプ台らしきものが見えるが、それだけ・・。
そこそこ歩きまわって、夜
「夜になると、人が・・・・いないなあ・・ほんまか?」
「ここ都会やろ? 全然人の姿ないやん!」
「ホテルは夕食付いてないよな?」
「ないよ! どこかで食べよ。といっても・・・・・・」
「食べ物屋もないやん・・・・ええ? なんで?」
「謎やな。ひょっとしたらだまされているんかも・・・・」
「ん? ここは、地下に入る入口か?」
「入ってみるか? 罠かも知れんで」
「行こ! 寒いし・・」
人気の全くない夜の札幌。恐る恐る地下に通じる階段を下りてゆく・・・・・・
「なんじゃあ! えらい賑やかやないか!」
「人がいっぱいおる」
「おお! 居酒屋や! とにかく入ろ」
行き当たりばったりの札幌。地下には人が一杯!
普通ならビールやが、ここは札幌。とりあえず、ウニどんぶり。いくらどんぶり。を注文する。
見てびっくり、食べてびっくり。量の多さと、その旨さ。
「これだけで北海道に来たかいがあったなあ!」
「旨いなあ!」
旨い、旨いを連発しながら、3人はしゃべることも忘れて食べる。
こうして札幌の第一夜は過ぎてゆく〜〜〜。

中学3年の浩二と私たち夫婦の3人は,丸三日飽きることなく観光とおしゃべりを楽しんだ。
毎度のことながら旅に出ると男は母の後ろからひょこひょこ歩く。
アイスクリーム屋を見つけると、迷わず買って、歩きながら食べる。
小樽の街では、母は盛んに写真を撮る。撮る人間は写真には入らないから、浩二と私の写真ばっかりになる。
それでも母は撮る。私と浩二は撮られる。
バスガイドさんに洗脳されて入った「北一ガラス」では浩二が真剣に物色している? 
別に取り決めがある訳ではないのだが、何故か「一品」だけと思い込んでいるようだ。
ま、普段のクセなのだろう。鷲の絵が彫ってあるガラス細工の前で動かなくなった。
かなり値が張る物なので迷っている様子。横から、
「気に入ったんか?」と母が聞く。
それには答えず、手に取って、じ〜〜〜っと見つめる。
「買ったらええがな」
この一言で、「これ、ええわあ! 見てたら力が湧いてくる」
などと言いながら、値札を見せる。自分の手で買う方が実感があるだろうと、母は五千円を渡す。
どこにでもある風景なのだが、私には観光地の景色より、こちらの方が印象的に残る。
このガラス細工は今も浩二は大事に持っている。

世に「出来の悪い子程可愛い」というが、浩二はどうやらこれに当てはまるようだ。
特に私は、自分の悪いところが全て遺伝しているようで・・・・つまりは自分を見ているようで、何も言えない。

道のそこらじゅうに雪が残っている札幌の街を、浩二とあてもなく歩いてみる。
薄着で歩いている人が多い。
「厚着してるん、俺らだけちゃうか?」
「そやな。・・・・地元の人間か観光客か一目で解るなあ・・」
「と、いうことは・・・・」
二人は上着を脱いで、堂々と歩きだしたが、目がキョロキョロしていることには気が付かなかった。


●紀子の結婚式・・・・1
「紀子の結婚」

「もしもし、紀子です」
「お〜〜〜い、加代さん。紀子や」
急いで母を呼ぶ。自分が話せばいいのに、オーストラリアからの電話。と聞いて慌ててしまう。
「はいはい。あら、そう。良かったわねえ。で、ふんふん・・・・・ふんふん・・・へ〜〜〜・・・・」
さっぱり内容が解らない。
「・・けっこんやて・・」
受話器を渡される。
(えらそうに)「もしもし父です」
「アハハハ・・・・突然ですが、来月結婚します」
「のりこ! 父はこの結婚には反対やで!」
「アハハハ、いっぺん言うてみたかったんか?」
「ばれたか・・。そらまあいっぺんは言わんとなあ・・」
「わかった、わかった。そういう訳で、ほな・・」
「ちょい待ち! 相手は男か?」
「写メールで送るわ」

電話を切った後、写メールで送ってきた相手の顔は・・・・
「なんじゃあ! こいつは・・。」
「どうみても・・・・・・悪役プロレスラーやね・・・」
「そしたら・・・・・・加代さんはオーストラリアに行くんか?」
「あたりまえでしょ。・・・・・・え? あんた、行かへんの?」
「パスポートないし、英語解らんし・・・・あの〜〜、その〜〜」
「なに訳解らんこと言うてるん! 一緒に行くに決まってるでしょ!」

実は、加代さん。この日が来ることを紀子が高校卒業後に、すでに予測していた!
予期したら、即行動! 英会話を習いに行っていたのです。

海外へは一生行かない!と決めていた私も、加代さんとなら行ける・・かも・・。
全てを加代さんに任せて、シドニーへ・・・・。
約束の時間は、シドニー空港、朝の8時。
定時に着いて。空港で待つこと1時間・・・・。普段着の姿、急ぐこともなく、悠然と現れたのは、久しぶりに見る寝起き顔の紀子。
「あら、早かったね」
「1時間待ちましたが・・・・」
「それは、それは・・、ほな行こか・・」
「ウ〜〜ム、感動的でない再会やなあ」

明日は、確か結婚式、のはず・・・・・・
そして、その前日と当日は、あまりにもいろんなドタバタがあって、ここではとても書ききれない!
というか、私に書く能力がない。ここでは、加代さんの奮闘ぶりを、ほんの一部だけ紹介する。
順番はムチャクチャですが、その筆頭は彼(マイケル)の母親(めちゃくちゃ癖のある英語! 
私はさっぱり理解出来ない)との1時間に渡る会話!  後で、
「何をあんなに楽しそうに話していたん?」
「それが、さっぱり解らへんのよ、アハハハハ・・・」
「・・・・・・・・・」 
これは武勇伝と言うべき。
また、結婚式のスピーチは圧巻。言いたいことを全て英語で言いきった!私は横で、聞いていた。
「よし! これなら私がカーネギーホールでデビューしても、レセプションには困らない!」
と・・・・・思いたかったが、その予定は、まだない!
加代さんと一緒に歩いていると、まるでシドニーという街を普通にしょっちゅう来ているわよ、とでもいってるような歩きぶりなのだ。
もちろん一度でも歩いた場所なら
「ここは、もう飽きたわ!」
と言わんばかりの歩っきっぷり!乗り物など、日本と全く変わらない対応。
私は、ただキョロキョロして、言われた通りに行動するだけ。
結婚式は役所で、型にのっとって行われます。
だから当日は次から次と結婚式があり、あちこちで新婚カップルを見る。
私たちは式(20分ぐらい)が終わると、豪華船をチャーターして船上パーティーに移る。
・・・・そうそう肝心の紀子の旦那マイケルはなかなかのイケメン! 
   写メールで見た男と一緒とは思えないカッコイイ男。
「なんで、普通の写真お送らんかったのや?」
「ジョークやがな・・」
「ビックリしたがな」
「プロレスラーやと思たやろ?」
娘も親を信用してるんやなあ・・・・ま、いいか。

まあ、オーストラリアでは「お土産」という感覚はないみたいですが、
我々は初めて会う紀子の旦那の親戚の人達に
「お土産は何にする?」
「軽くて、安くて、小さい物・・・・」
「扇子か?風呂敷か?・・」
二人で三ノ宮へ行く。私は横で
「そやなあ・・ふんふん・・・・エエんちゃう。なるほど・・・・それもエエなあ。・・・・・」
相槌を打つだけ。考えて決めるのは全て加代さん。

これらのお土産を初めて会った時に見せず、結婚式が終わり、次の日の親族の親睦会の宴もたけなわになった時に出す! 
ウ〜〜ム、絶好のタイミングやなあ! 扇子を取り出し、景気よくバッと開く! 
この時の音がカッコイイのだ!とジェスチャーで説明する。
たったこれだけで大喜び。全員が扇子を勢いよく開くが、音はしない!
全員が練習開始、真剣、クライマックスが扇子開きかい!
ま、しかし、ノリが良い。                    ・・・・・・つづく・・・・・


●紀子の結婚式・・・・2 
結婚した日の夜に、街に繰り出す。親族全員で・・しかも予約してない!行き当たりばったり!
素晴らしい! そして、一軒のイタリア料理店に入る。 
一同テーブルを囲むが、私の横には加代さんはいない!! 紀子もいな〜い! 
どこの誰かも解らない、謎のおっさんが、しゃべるしゃべるしゃべる・・・・。
注文してから約1時間、な〜〜んも出てこない? だ〜れも関心ない?! 
「あの〜〜、なんぼなんでも遅すぎません?」
「オ〜!、ペラペ〜ラのペ〜〜ラペラ」(ほんなら、聞いてみまひょか?)
と、その時、「ペペペペのペ」(でけましたでごんす)
加代さんは・・・・と見ると、自然体で、マイケルの母と姉(3人いる)と、その旦那と・・・・にこやかに談笑! 
エエ〜〜イ、こうなったら、こっちにも考えがあるぞ!(ないけど・・) 
音楽の話ししてこましたろ! アイアムアミュージシャンぢゃ! 
すると、私の前に座っていたマイケルの一番上の姉の旦那が、なんと真剣に聞き始める・・・・
いいやいな、そんなに真剣に聞かんでもええがな・・・・しかし、彼はがぜん真剣度が増す!
訳のわからん英語もどきとジェスチャーで・・・・やけくそで話す。
あれれ? 言葉が通じるはずの日本人より伝わるやないか?

この時、ほんの少し加代さんの気持ちが解った。
・・・・
「そういうことやったんか。言葉も使うが、あの声と、口調と美貌で伝えようとしていたのだ」
その翌日。二人で散歩していると、港が見える小さな公園で、いかにも上品な老夫婦がベンチに座っている。
用などないはずなのに、加代さんが、その老夫婦に近づき、何か語りかける??・・・
「あのさあ・・。あの人知ってるん?」
「知ってる訳ないでしょ!」
「したらば、なにゆえ?」
「知ってる場所聞きに行ってん?」
「なんじゃとて? ・・・・ああ!! そういうことか!!」
つまり、加代さんは上品な英語を使ってみたかったんだと。

       私の兄は英語教師。しかも古い英語!
       イギリスで兄がしゃべると、今は皇室が使っている程の上品な英語らしい。
       兄に習っていたので、その英語を使ってみるチャンスを狙っていたのだと言う。 
       ターゲットにした老夫婦は加代さんの思った通りでした。

これから二人で行く予定の場所(もちろん加代さんは知っている)を、このあたりだと思うのですが
ご存じないですか? 
ときっかけを作った! で、まあ、ついでに少しお話した! 
「まあ上品やったわ! 間違いなく貴族やね!」
「ということは・・・・バッキンガムでも通じる英語やった訳やな?」
「頭が高い! ひかえおろう!!」
「ははああ〜〜〜・・・」                   ・・・・・・・つづく・・・・・・・・


●紀子の結婚式・・・・3
結婚式の夜、私たち夫婦は紀子とマイケルの計らいで、オブザバトリー・ホテルという、それなり
に有名なホテルの豪華な部屋に泊ることになり、
「おい! エライコッチャな」
「エライコッチャ!」
「なんで風呂場がこんなに広いんぢゃ」
「あの〜、浴槽もシャワーも2つありますけど・・」
「ベッド! 家族4人が一緒に寝れそうな大きさやがな!」
「しかも、2つ・・・・」

ここで、時間を少しさかのぼって、新郎マイケルと新婦紀子の会話(想像)を・・・・
   ・・・・「ノリコサ〜ン、コノサイヤカラ、ゴリョウシンノトマル・・・・・」
      「ややこしいから、普通にしゃべり!」
      「御両親が泊る部屋、豪華にしましょう!」
      「う〜〜ん、私の両親は、豪華は慣れてないからなあ〜。むしろ一人部屋に二人を・・・」
      「これこれ、遠い日本から来るのやし、一泊だけ豪華にして、後は・・・・・」
      「そやなあ、一発かましたら、あとはビビってしまうやろ! それに、このホテルは私が勤めていたから、少しは安くなるはずやし・・」
      「で、両親は飲みますか?食べますか?」
      「あんまり食べんし、飲まんなあ・・・・そや、朝食は一人前で十分やで!」
      「おお!ノー! それはいけません! 一人前半にしましょう! アハハハハ」

なにがアハハハハや! 
さて、夜になって・・。すぐに寝ることもないやろ、バー覗いてみよか? 飲みもせんのに?
話しの種や。 そやね。 おっかなびっくりホテルのバーに入ると・・。
「ありゃ? ギター弾いてる女性が・・」
「しかもグランドピアノの上に腰かけて・・」
「それなりの演奏してるがな」
「サマにはなってるなあ・・」
「今度、あのスタイルで弾いてみるか・・・・」
「演奏は、あんたとは月とウサギやけど・・」
「 一発かましたろかしら!」
「やめとき。かまされるで」
「そやな。ほな出よか・・」
「せっかくやから、何か飲も」

こうして、私たちも娘夫婦と同じホテルで優雅に泊ることになりました。メデタシメデタシ。


●紀子の結婚式・・・・4
結婚式が終わり、一泊して次の日も親戚一同と、アッチコッチ行く! なんてことは日本では考え
られない。 ま、同じ国の者どうしの結婚なら、式が終わったら、ハイさようなら・・・・なのだろうが、
なにせ国際結婚。2日間、いやいや・・なんと豪華ホテルの後は、アットホーム的な宿に泊る。つま
り3日間マイケル族と島崎族は一緒に行動する。

そして、4日目から私と加代さんで、シドニー冒険の旅が始まる。
坂道を上がると、装飾品を中心に服や日用品・・・・つまりは雑貨店(おしゃれな雑貨屋)があり、加
代さんが「お久しぶりです!」とでも言いそうな雰囲気で店に入ると・・
「ペラペ〜〜ラ」(見せてもらっていいですか?)
「オ〜! ペペラ〜ラ」(どうぞ、どこから来ました?) 以下普通に
「日本から、この店のことを聞いて、やって来ました!」(すごいジョーク!)
「本当に? では、ごゆっくり見てください! おや?そちらのダサイ男性は?」(ほっとけ!)
「マイ・ハズバンド!」
「お〜! 素晴らしい男性ですねえ!」(コラ!)
そして、気に入ったものがあると、日本で買う時より、いろいろ質問する。
「あのさあ、明らかに日本で買う時よりシツコイで・・」
「日本語で聞くより、英語の方がオモシロイねん」
「さよか・・、ま・・・・そうかも知れん。さっきから、解りきったこと聞いてるもんなあ」
「シ〜〜ッ! 日豪親善の旅や」

この日は二人して歩く、歩く、アンド歩く。
「ん?ここは、見たことあるぞ!」(最初の日に来たでしょ!)
「かの有名なオペラハウス。あんたがコンサートしたとこやん!」(誰の話しや!)
「おお! そやった、そやった。アイスクリームでも食べよか?」(半分嫌みが入っているな・・)
「知ってる? 紀子と一緒にここで歌劇「ドンジョバンニ」ホンマに見てんよ!」(しかも英語やで)
「そらスゴイ! さすがは音楽家の妻やなあ!」(序曲の後は、絶対に寝るな・・・)
「って、敏雄さんは見たことないんか?!」(ま、一応は聞いとこな・・・・答え方は解ってるけど)
「あの話、嫌いや。そもそも歌劇は嫌いなんよ」(どんな話やったかなあ・・・・)
「あれ? 音楽家やのに?」(ちょっと、おだてたろ・・・・ふふふ)
「宝塚は、カッコエエけど、・・・・・ホレ、な? 容姿が、伴ってないやろ?」
「それは、言える」
「そこや! 歌が上手くても、話しがいくらよう出来てても、容姿を無視したらアカンやろ?」
「ほな、ワイン飲もか?」
「そやな、カッコ付けだけやけど・・・・味はよ〜解らんけど、飲んでみるか・・」
こうして、いつも話題がヒートアップし始めると、さっと矛先を変える名人なのです、加代さん。


●紀子の結婚式・・・・5
「和服騒動記」

さて、結婚式の次の日。 
扇子で盛り上がった後、紀子に和服を着せてマイケル族のみなさんに披露した。
紀子が美しすぎて大騒ぎ! そして、
「お姉さん方も着てみます?」
加代さんのこの一言で、3人のお姉さん方(ジェーン、スージー、カントカ)が次々と和服を着てみる。
この時の為に、和服の着せ方教室に2〜3回通っている。
まあ、しかし、なんですな・・・・ハッキリ言って、外人には似あいません! 
やっぱり日本人の女性にぴったりです。が、そこは日豪親善大使。
「あら〜〜!素敵! 一段と美しいですわ、オホホホホホ・・・・」
この最後の「オホホ」のホの数で本当かウソかまあまあか、の違いがあるとは誰も知らない。
一人着るのに2〜30分かかる。それは体型の違いによるところが大きい。
本来なら加代さんにピッタリの和服を持って行っているから、紀子には合っても、体格の素晴らしい外人にはちと小さい。
小さいが、まさか! 帯が一周でピッタリとは思わなかった加代さんは・・・・・

   ここで、また私の想像・・・・・和服を着せようと奮闘している加代さんの姿を・・・・・・

   ウ〜ム・・・・これは手ごわいぞ。第一、私の手がお姉さんの腰に回りきらないやないか・・。
   こんなことは教科書には書いてなかった。そうか、相手を回らせればいい。
   「美しいお姉さま、くるりと回ってみてくださいな。そうそう、まあ御上手!」
   と言ったかどうか??  さて、まさか帯が一周しただけでピッタリとは・・・・もしここで
   ・・・・「加代さんは、確か2〜3周していたはずだけど・・・・」なんて質問されたら・・・・・
      「あ〜ら、お姉さま、オホホホホのホ・・・・・でごまかそ!」
   そう心に決めたが、実際には「あら? この帯、短いわねえ・・」で終わった!  らしい。

「ノリコは細いねえ! もっと、太らないと!」
などとマイケル族が口ぐちに言っている? 
いつのまにか紀子もその気になって、パクパク食べている。ま、新郎チームが言うのだから・・・・
さて、最後のお姉さまが着たところで、「オ〜〜ビューティフル!」と一同喝采して終了。
しばらくしてから、加代さんがその着物を着て再度登場!  
・・・・「やるなあ! この演出!」・・・・私は鼻高々に日本語で言う
「どんなもんぢゃい!」
「イマナントイイマシタカ?」誰かが紀子に聞く。
「ヒー、セッド。マイ ワイフ イズ ナンバーワン!イン ザ ワールド」
やんや、やんや。・・・・・・ま、外国に行くと、これぐらいは言わな・・・・


●身代わり
「身代わり」

浩二が小学校5年の時、腎臓の病気「ネフローゼ」にかかった。
難病指定! 原因も治療法も解らない。 
入院して数カ月が経ったある日、突然苦しみ始めた。
そして、病院中に聞こえるのではないか? と思える程の大声で叫ぶ!
医者(吉矢先生)が飛んでくる・・・・・・。
やがて、浩二は静かになり、虚ろなまま目を閉じた。
「お父さん、こちらへ・・」
ベッドの横で浩二に寄り添っている加代さんを置いて、医者と二人で別室へ
「お父さん。私は今までこのような症状を500例ほど経験しました」
「・・・・・・・・????・・・・・・・・・」
「あきらめてください!」
「死・・ですか?」
「はい。残念ですが・・・・・」
そして、しばらく医者と話した後、
「確認に行きます」
すでに死んでいるかも知れない浩二の病室へ、医者の後ろをトボトボ歩く・・・・。

「お父さん! こちらへ・・」
先ほどと同じ言葉。
「お父さん、私は今までこのような症状を500例ほど経験しました」
「先ほど聞きました」
「はい。完治しています!」
「え? 治っている?」
「そうです。医学的には説明出来ません。初めての例です。お父さん、何があったのですか?」
「・・・・・・・・実は、加代が<身代わり>を神さんに頼んだんです」
「なるほど・・・・・・そうでしたか・・・・・」
「吉矢さん。男はしょせん女性の前では子供ですよ。私は、浩二にガンバレと言ってしまった・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「死を前にしている我が子に、なんでガンバレなんですか・・・・恥ずかしいです」

浩二が退院したのは、それから間もなくでした。
そして、その直後。加代が
「なんか、左胸にシコリがあるねん・・」
「ひょっとして・・・・」
家から歩いて7〜8分の海星病院外科。
紀子の友達のお父さんがここのお医者さん、西平先生。
「初期の乳がんです」
加代は、平然と「乳がんで済んだ!」

手術が無事終わって、回復を待つ病院の屋上から、毎朝浩二が小学校に行く姿を見る加代。
「一番元気に走ってるわ。1年遅れたのに・・・・エエ子やなあ!」
そして、目がしらをそっと拭く。
自分の子供を、折に触れて「エエ子やなあ!」とつぶやく時、いつも涙を浮かべている・・・・。
私が鈍いのか?、女性には敵わないのか?
いつもニコニコしている加代さん。嬉しい時には少し涙線が緩む加代さん。

加代が逝ってから、生前の約束だった「加代を偲ぶ会」を企画したが、しょうもない用事で5日も費やした。
今日は11月4日 書き残した話で、どうしても書かねばならない分だけ書きました。
これだけでも、書きながら涙が止まりません。
「身代わり」を申し出て、20年以上生きました。さらに、孫の顔を見せるというご褒美付き。
そう考えるのが私の役目?なのかも・・・・

今日、娘と孫に会う為に阪急六甲に迎えに出ました。
改札口で待っていると、一気に涙が溢れます。
いつも加代のお迎えに、いそいそと六甲に出かけ、改札口で、子供のように手を振っていたのは・・・・つい2ケ月前のおはなし。
来る訳ないのに・・・・・・探している自分がいる!   

ここまで我慢強く読んでくださった方。
あなたが男性で奥さんがいたら・・・・・奥さんを大事に大事にして下さい。
あなたが女性で旦那さんがいたら・・・・・・時々意地悪して困らせてください。
そうしないと、もし、先に逝ってしまったら、ご主人が毎日泣いてばかりですよ。

7時からは、私たち夫婦の一番お気に入りのピアニストとチェリストの演奏を聞いてください。
彼女(一ノ瀬夏美さん)と彼(日野俊介さん)は私が最も愛する音楽家です。
それは、演奏は言うに及ばず、初めて会った時の加代のように「光っている人」だからです。
私は時々光っている人を見ます。一ノ瀬さんも、日野さんも光っていました。

加代も聞いていると思います。二人の大好きな友人の演奏を聞きながら、
もう一度加代さんを思い出してやってください。そして、別れてください。
今日から、私も新しい出発をします。  さよなら加代。


●想い出の品を処分するには・・・・
12月16日、思い付きました。
加代との想い出の品を処分するには?
続きを書こう!
「加代と敏雄の物語」1話書くごとに1つ処分する!

これは良いアイデアだ。
今日、早速書きました。
明日、ここに書きます。
今は、ワープロに保存しています。


●包丁事件
2年程前に、加代さんが台所で洗いものをしていた時に、
「アイタ! 良かった!」
なんとも不思議な叫び声が聞こえた。
「どないしたん?」
「指、切ってしもた!」
「あららら・・・・。えらい血やがな! エエことあらへんがな!」
「誰かの代わりやねん」
「未来か? 彩か?」
「う〜〜ん、誰かは解らんけど、そう感じてん」
左手人指し指の外側を、かなり深く包丁で切った傷口から結構な量の血が流れ出る。
水道の水で洗い流してから、右手で傷口を押さえ、少々お高いバンドエイドを張る。
傷が深いにもかかわらず割と早くに完治した。
さすがは高いバンドエイド! と関心したのを覚えている。

時は経ち、加代が死んでから2週間。 今週の金曜日(20日)には吹田でコンサートがあるという
日曜日。私は台所で洗いものをしていて、包丁の角で左手人指し指の外側をザックリとやってしまった! 「アイタ!」
これは痛いという意味ではなく、コンサートを控えて指を怪我するなんて、なんとドジな!
という意味の「アイタ!」
しかし、やってしまったのはしかたない。慌てて水道から水を流し、切った左指の傷口を洗う。
「しかし、なんでこんな時に・・・・・・」
後悔してもしかたがないのは解っていても、「あ〜〜、もう〜〜!」と言いながら、水を流す。
「・・・・ん?! なんでや? 血が出ない・・・・。アレ?」
なんともない???
確かに、さっきザックリと・・・あ!  あの時の加代か!!

2年前に加代が誰かの代わりに怪我をした・・・・・その誰かは、私だった。
なんとも、加代という女性は・・・・そこまで身代わりになるのか!
これは、私が守られている!というような生易しいことではないぞ。
もっと深い理由がある。
それは、今あるギター界を根底から変える!
それだけの力を持っている!
そこから考え、行動する。
生徒さん一人一人を最高レベルに引き上げる。
これが私の使命と心得た!


●死とは・・・・
感謝と祈りの集大成。ふっと湧いた言葉。
加代の死。死とは永遠の別れ。
2〜3日してから、また会う別れとは根本が違う。
そう思うのは人間だけか?

そこで、また会える「別れ」と、会えない「別れ」
どう違うのか?

そして今日、1つの答えが湧いた。
死は忌み嫌うものではない!
誰にでもくるのだから。
死は悲しいものでもない!
1つの完結だから。
死んだ人間がどう思うか?
そら、解からん。
残された者が、どう感じるか!

私は、感謝するしかない。
加代に感謝するばかりだ。
あれもこれも、どれもこれも。何から何まで感謝、感謝や。
そして、祈る!
加代も私と一緒になったことを、感謝してほしい。
加代との生活があったから、これからのギター人生が花開くことを。
子供達が次の世代に受けつぐことを。

加代の死は、私を少し、いや、かなり強くしてくれた!
感謝する。
加代の死は、私にアイロンがけを教えてくれた。
加代の死は、私に午前中の仕事を与えてくれた。
・・・・加代・・・・

加代、ありがとう!


 



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